マームズベリー本社に置いてあるデザインアイコンたち
創業者のジェームズ・ダイソン氏は、自身のデザインなどに影響を受けた優れた製品を、従業員など関係者たちの目につく場所へ設置することで、常にアイデアのインスピレーションを与えるようにしています。まずは以下の3枚の写真をみてください。
そして、今回ダイソンのジャパンオフィスにデザイナイコンとして設置されたのが「Honda Super Cub C90(以下:スーパーカブ)」です。
時代を越え愛されているプロダクトであることに間違いありませんが、都会的な印象の強いダイソンが、何故昔ながらのレトロな印象を持つスーパーカブを、わざわざフルレストアしてまで展示しているのか、ほとんどの人には一見しただけではまったく理解できないと思います。
ボロボロのスーパーカブを蘇らせるミッション
実はこのスーパーカブの原型は50年以上前にオーストラリアへ輸出された非常に希少なモデル。今回、ジェームズ・ダイソン氏自身がかつて強く影響を受けたデザインアイコンということで、希少なモデルながらも色と形まで指定して、ジャパンオフィスに置きたいと希望。社員一丸となって必死に探し出した製品がこちらです(大変なミッションですね…)。
様々なネットワークを駆使してなんとか探し出したものの、当然年代物のスーパーカブであるため当初は相当なバッドコンディション。劣化が激しく、パーツも不足していて、とても展示できるような代物ではなかった状態だったと言います。
そこでダイソンはこちらのスーパーカブのフルレストアを敢行。白羽の矢が立ったのが、ホンダの創業者である本田宗一郎さんと、高校生の頃から親しくしており、現在はスーパーカブのレストアの第一人者でもあるモビリティ・クリエイターの中島好雄さんでした。
最初は無理と断るも熱意に負けてレストア開始
実はあまりの難しさから、プロジェクトへの参加を一度は断ったと言う中島さん。ですが、ダイソン側からの切実な熱意に負け、最初は渋々引き受けたのだそう。登壇された際のお話の随所には、スーパーカブへの深い愛情を伺うことができます。
このスーパーカブはホンダにとっても非常に希少なモデルで、国内にあまり資料らしきものも残っていなかったと言います。理由は明確。なぜならこのモデルは同じスーパーカブでも、元々海外へ輸出されるために開発されたモデルだから。当然、国内では何ひとつレストア用のパーツが手に入らなかったという中島さん。ですが、そこはスーパーカブのレストアの第一人者、世界7カ国のコレクター達から地道にパーツを買い集めて、足りないものは自身で手作りまでして、9ヶ月もの時間をかけて、まるで当時売りに出された新車のように蘇らせることに成功しました。
女性がカジュアルに跨げ、商店の親父がヘビーユースできるスーパーバイク
朱色と深紅の中間のような、心を惹き付けて止まない赤に、絶妙なツヤ感と愛らしいフォルム。サスペンションは、舗装の粗い道でも弧を描いて耐えられるように設計されていて、横幅は自転車を彷佛とさせるスリムな仕様です。
改めて見つめていくうちに、スーパーカブが当時の人々の暮らしにとって、いかにイノベーティブな製品であったのかを実感できます。平成元年生まれの私にとって、高度経済成長期のエネルギーに満ち溢れた当時の道路で、スーパーカブが颯爽と走っている姿を想像するだけでもエモ過ぎてグッときます……。感極まって実際に製品へまたがっちゃいました。
いよいよ本題! ダイソンとスーパーカブの深い共通点とは?
自身がフルレストアしたスーパーカブを前に、中島さんは語り続けます。
「ヨーロッパでは以前からデザイン=エンジニアリングという概念がありました。しかし、日本では工具に触れた経験が少ない人、すなわちエンジニアリングにあまり理解がない人が、一般的にデザインをすることも多いため、デザインとエンジニアリングの間にはどうしても見えざる壁が存在することが多いです。特に現代ではCADによるデザインがメインとなっていますが、3D上では個体が空中に浮いていますので、実際に製品が使われるシーンと遊離してしまう部分もあります。造形的なセンスと設計する能力が融合しなければ、本当に良いものは作れないのではないでしょうか」
昨今のモノづくりの現場に少々苦言を呈する中島さん。ハイテクノロジーで効率性と大量生産を追求することだけで、この先、日本は新しいものがつくれるのかどうか疑問に思っているとのこと。それに対して、このスーパーカブを眺めながら、作られていた当時のモノづくり対して思いを馳せます。そこで初めてダイソンとの共通点や、自身がなぜこんな困難な仕事を引き受けたのかに話が移ります。
「しかしこのスーパーカブは違います。当時、おそらくこのバイクが好きで好きでたまらない、本当にバイクに精通した人々によって開発されたものであることが、いろいろな部位から実感できます。まさにテクノロジーとデザインがしっかりと融合しているからこそ、現代でもほとんど仕様が変わらない普遍的なスーパーバイクとして君臨しているんだと思います。その証拠に、このスーパーカブが生まれてから60年以上の時が経っていますが、それだけ時代は経っていても、こうやってレストアすれば古さを微塵も感じさせません」
「実はダイソンというメーカーにも、このスーパーカブを作った方々に対する想いと同じようなことを感じました。今回いろいろお付き合いしたなかで、非常にグローバルな企業でありながら、アカデミックな部分にしっかりと投資をし、実践と研究を繰り返していることも知りました。ゼロベースでモノづくりをするのならば、やはりそういうエンジニアたちのいいものを作りたいと思う心意気を、メーカーとしてしっかりと汲みあげることが大切です。ダイソンはデザインエンジニアと呼ばれる人たちが、そういう想いをしっかりと持ち続け、常に具現化できる環境を用意していると聞きました。だからこそ今回、ホンダとダイソンの“アイコンの共有化”の手助けをする仕事は楽しそうだと思い、難しい仕事とは思いながらもお引き受けしました」
あ…なるほど。当時のホンダもダイソンも、単なる卓上の理論だけではなく、圧倒的に実践と実験を繰り返し続けて、世の中を変えるようないいモノを開発する姿勢を持っているということ。そして全てのプロダクトデザインには、エンジニアリング的な意味が必ず込められているところ。それらが結果的にプロダクトとしての個性を生み出しているところが、両者には共通しているということ。中島さんが今回のプロジェクトを引き受けた理由、そしてダイソンのデザインアイコンのひとつに、このスーパーカブが入っている理由が腑に落ちた瞬間でした。
初心忘るべからず! 自らのデザインアイコンにも気づく?
実際にジェームズ・ダイソン氏自身も、自らの過去のインタビューの中で『私は個人的に、デザイナーとエンジニアに違いがあるとは思いません。同じだと考えています。(中略)本物のデザインならうまく機能します。最良の製品はデザインプロセスから生まれ、内部テクノロジーの特徴が外側の見た目に表れます』と話しています。
デザインアイコンという概念は、一般的にはまだそこまで耳馴染みはありませんが、今回の取材を通して、意外と私たちが無意識にやっていることでもあるのかな、と思ったりもしました。私自身も過去にSDN48に在籍し、実はアイドルとして活動していた頃の写真を時折眺めることで、まだまだ努力の余地があるな、と初心に還ることができ、ライフデザインをインスパイアされたりします。(正直、今回のデザインアイコンの話とはかけ離れますが)
忘れたくない大切なことほど忘れやすいから、やっぱり目につく場所にインスパイアされるものを置いておくのって重要なんでしょうね。社員数約15000名、世界展開をするダイソンですら、人々の暮らしの課題解決のために初心を忘れず挑戦し続けているわけですから、私もまだまだ頑張らなくちゃ。デザインアイコンという考え方に触れることによって、そんなことを考えた日なのでした。
- Original:https://www.digimonostation.jp/0000121285/
- Source:デジモノステーション
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