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激アツ♨胸アツ“熱つ湯”銭湯パラダイス

廃業する銭湯があるというものの、今、空前の銭湯ブームである。
老いも若きも性別問わず、国籍無用で銭湯への注目度が高まるなか、“銭湯通”への通過点が「熱つ湯」だ。熱つ湯経験値が低いながらも、熱さに自信ありの利根川クンの、熱血チャレンジを記録した!

What’s

熱つ湯ってナニ?

一般に38℃~40℃程度が適温といわれるが、「熱つ湯」は42℃以上を指す。ぬるめの湯にゆっくり半身浴というのもいいが、深めの熱つ湯にサッと浸かると、交感神経が優位になり心身を活性化してくれるという。*くれぐれも心臓に持病のある方、血圧値が正常でない方はやめてください。

デジモノセレクト「熱つ湯ナイン」

 

How To

熱つ湯のお作法

いきなり「熱つ湯」に浸かるのは無謀。いえ「熱つ湯」に限らず、なにもなくとも「かけ湯」をすること(もちろん、しっかりカラダを洗っても可)。かけ湯で肌の表面温度を上げ、ゆっくりと浸かり、慣れてきたら肩までを沈める。で、肝は「16℃~22℃程度の水風呂」の存在。熱つ湯と水風呂を交互に入るべし。


 

その“温度”東京近郊ナンバーワン!

熱つ湯ページの一番手を飾りながらも、取材の最終地である「丸子温泉」。前3軒の熱さを味わい、すっかり“熱つ湯♡大好き”になった利根川クンに「ギャフン!」と言わせたく、やって来た。この辺り=神奈川~東京大田区は天然温泉の宝庫で、黒くてアツアツの温泉を470円ポッキリで満喫できるのが魅力。おまけに、番台にマッサージ機、おかま型ドライヤーなどレトロな佇まいにもそそられる。そんな「丸子温泉」の創業は戦後まもなく(登記は昭和26年)。以来、なくてはならぬ憩いの場となっており、現在切り盛りするのは三代目の髙宏充さん。コピーライターを経て家業を継いだ異色の存在だ。「同級生に、四軒ほど銭湯がありましたが、今はもうウチだけです」と、昨今の銭湯状況をうかがいつつ、清掃したばかり&アツアツの湯をいただきます!(いただくのは利根川クンです)

それにしても、浴室に足を踏み入れた途端、メガネは真っ白、カメラのレンズもモヤモヤっと。これぞ、ウワサに違わずの熱つ湯である証拠。湯船からはモウモウと湯煙が出ており、いるだけでお肌が潤ってくる。よそではすぐに浸かった利根川クンも難儀している。いやはや49℃! 参りましたの声が聴こえるかと思ったが、根性でザブンと。お見事です!

「黒湯」のお隣は「白湯」。こちらは温度を抑えているため(黒湯よりも、という意味です)、かな~り入りやすい。余裕綽々だなぁ。ジェットバスでさらに快適。

“特に”熱い湯に入りたい人は開店直後が狙い目です!


見事なまでの黒褐色。天然の保湿成分であるメタケイ酸が、肌の新陳代謝を促しツルツルにしてくれる。その泉質ゆえか、熱さによる刺激というか痛みはなかった。

 

そんじょそこいらの酒場なんて、目じゃない!
風呂上がりの一杯どころか、しっかり定食もある宴会場で休憩を

虹の都 光の港 キネマの天地~♪ でおなじみの蒲田は“銭湯天国”。「蒲田温泉」はなかでもつとに知られた存在で、某人気女優さんが“蒲田温泉Tシャツ”を着てフライデーされたこともあるほど。知名度を後押しするのが、なんといっても名物の「黒湯」だ。一見、真っ黒だが、手ですくえばうっすらと透けて美しい。けれども白いタオルを浸せば(桶に貯めた湯で)、たちまち茶色に変わる。つまり、それだけ濃厚な成分を秘めた湯であるのだ。美肌ばかりでなく、怪我にもいいとあって、かつては近隣の整形外科の入院患者さんが湯治に来ていたという。この良質な黒湯が湧き出したのは1937年(昭和12年)のこと。

「戦前は人に貸していましたが焼け野原になってしまって。銭湯大工だったおじいちゃんが建て直して、自分で経営をはじめたんです」とは女将の島雪江さん。ということで、開店直前のなみなみと“たゆとう”黒湯にチャレンジを。浴室はすでにモウモウとしている。熱さに強いが、熱つ湯初体験の利根川クン(ココが本企画でイチバン最初の取材でした)は、「これまでの人生で入ったことのない温度。でもなんの躊躇もなく、ふつうに入ることができたらかっこいいと思う……」とぶつぶつ言いながら、徐々にカラダを沈めてゆく。水風呂へと促し、熱つ湯との交代浴をするにつれ、コツを会得したのか、ちょっと余裕を見せている(ちなみに記録者の私は、ふくらはぎでギブアップ)。

「熱つ湯では全身にギュッと力が入りますが、水風呂では、入っていた力がふうぅーーーーっと緩和されて。これを繰り返すことで、だんだん気持ちなっていくような」と、熱つ湯の常習性を体感した模様。とことん“湯”を堪能したあとは二階の宴会場で休息を。「蒲田温泉」の名物・その2は充実のフード&ドリンクメニュー。ビールと、女将さんお手製の釜飯もいただけば、お腹も満たされ……広間にゴロンと転がってもよし。マイペースに過ごして癒しの1日を。

蒲田温泉には熱~い黒湯のほか、さら湯の「超音波風呂」「でんき風呂」など、そして火照ったカラダをクールダウンするのに欠かせない「水風呂」がある。

 

一日中いても飽きない。
いや、暮らしたくなるほどの楽園!

黒湯が漂うタイルも印象的。
二階の大宴会場にはなぜかボックスティシューが大量に。名前が記されていて……つまりマイボトルならぬ“マイティッシュ”。
加水の蛇口。
銭湯オリジナル地ビール、黒湯地ビールと酒類も充実。
女将さん特製の釜飯、必食です。
湯上りの一杯を満喫できる大宴会場。ステージではカラオケも楽しめます。

 

ビアマイスターがいる銭湯で至福の時間を!

見よ、この、利根川クンの表情を! 「アッツィ」と言いながらも終始にこやかで清々しい。その理由は、天井が高く、外光がたっぷりと入る浴室にあり。やわらかな日差しにクリアブルーの湯が映え、なんとも爽やかなんだなぁ。とはいえ湯の色は透明で。浴槽のタイルに工夫がなされ、美しい青に見えるのだそう。そのおかげで、利根川クンの肌もキレイです、ハイ。そんなフォトジェニックな銭湯は、今年で創業86年を迎える「斉藤湯」。日暮里という土地柄か、古くから落語家さんや芸人さんらにも愛されてきた。歴史ある建物は五年前に解体、スタイリッシュな銭湯へと生まれ変わったのだった。三代目の斉藤勝輝さん曰く、「銭湯の基本は“いい湯”であること。美肌の湯といわれる超軟水を使い、赤ちゃんからお年寄りまで喜んでいただける、さまざまな温度や種類を提案しています」

なるほど。44℃~46℃程度の熱つ湯もあれば、お子さんもゆっくりできる39℃もある。浴槽の深さの妙など、細かな設計が心憎い。さて湯上りには生ビールをグビリ。勝輝さんはアサヒビールが認めたビアマイスター。「純粋に、ビールがとっても旨い、旨すぎます」と、肌も喉も歓喜させてくれる銭湯なのだった。

ビルの銭湯とは思えないほど、天井が高く開放感たっぷり。浴槽の種類も豊富で、高温湯、高濃度人工炭酸泉、ジェット、寝風呂、電気風呂、そして露天のシルキー風呂がある。写真下は三代目ご主人・斉藤勝輝さん。落語や演芸、カメラに造詣が深く、粋な風情のナイスガイ。また大きめのロッカーを備え、ドライヤーの数も充実している。


 

日替わりの薬湯風呂。
その数、なんと100以上!

稲荷町駅からほど近く。千鳥破風と唐破風を備えた堂々たる佇まいの「寿湯」。熱つ湯が知られるが、それ以上に「とにかくピカピカ、清潔で気持ちがいい!」と評判がスコブル高い。……と記すと、他所は違うの? となりがちだが、そうではない。ただただ、群を抜いてピッカピカなのである。そこには早朝からの徹底した清掃と「お客さんに気持ちよく入浴してほしい」という思いがあってこそ。取材におじゃました際、清掃の様子をほんの少しだけ覗き見したが、働く方々の様子に目を奪われてしまった。そう、銭湯取材は基本、「開店前」と決まっている。となると、清掃直後のまっさらな場に身を委ねることができ……取材者冥利につきる。ありがたし。ひとしきり感心したのち、利根川クンが「いただきますっ!」と薬湯に。彼にとっては“慣れた”45℃だが、いつも以上に穏やか~。「熱いけれども、戦っているのではなく、心地のいい熱さ。香りからのリラックス効果もあると思うっす!」

この日は「生・緑茶風呂」で、かすかに漂う爽やかな茶葉の香り、おそらくカテキンもお肌にいいに決まっている。湯上りには缶チューハイを。お供は缶詰。電子レンジで温めてくれるなんて、立ち飲み屋さんよりも親切なのだった。

土地柄か、ペンキ絵にはパンダが描かれていた。ビルの谷間に露天風(男湯のみ)。後方にはマンションがそびえ立つ。こちらも薬湯でした


銭湯トリビア

其の壱
銭湯はいつ誕生した?

日本最古の説話集『今昔物語』を筆頭に“湯銭”という言葉があり、平安時代には商売としての入浴施設があったとか。が、庶民が日常的に利用する場としては1591年(天正19年)、伊勢与市という人物が銭瓶橋のほとり(現在の日本銀行本店近く)に銭湯を建てたという記録がある(『慶長見聞集』)。その10年後には、江戸の町ごとに銭湯があったほど普及した。

其の弐
江戸期の銭湯は混浴もあった!?

江戸初期は、圧倒的に女性人口が少なく、また、遊女のような湯女がいる場であったため、銭湯にはほぼ女性客はいなかった。が、湯女が吉原へ送られると、銭湯にも女性客がやってくるように。だが銭湯としてはスペースを拡張できず「入込湯」と呼ばれる混浴となったという。厳格な老中・松平定信による寛政の改革では混浴厳禁となるが、その風習は続けられた。

其の参
トレンド、噂話……銭湯は情報発信地

男女混浴だけでなく、武士や町人など身分の差もなかった江戸の銭湯。浴室のほか広間も設え、茶を飲む人、囲碁に興じる人など多くの人が出入りした。ゆえに情報が集まり、さまざまな宣伝広告も張り出された。昭和になると、脱衣所には映画や落語のポスターが貼られ、ポスター掲示の対価として“ビラ下券”が配られるなど、情報発信地の顔がますます強くなった。

其の四
銭湯のペンキ絵にはなぜ富士山が多い?

1912年(大正元年)、今はなきキカイ湯(千代田区猿楽町)が増築する際、お客さんに喜んでほしいとペンキ絵を描くことを発案。その絵を依頼された洋画家・川越広四郎が自分の故郷の富士山を描いたことに端を発する。これが評判を呼び、周囲の銭湯に急速に広がり、東京の銭湯には欠かせない背景画に。じつは富士山の見えない地域ではあまりないことも追記しておく。

其の五
タオルを頭にのせる理由って?

湯に浸かると、頭にタオルを乗せたくなる。なんとなくの習慣と思いきや科学的な根拠があった。入浴中は静水圧がカラダにかかり、全身の血液が頭に流れ“のぼせ状態”になる。この、のぼせ防止には、冷たい水で濡らしたタオルを乗せるといい。また湯船から出る際の立ちくらみには温かいタオルを乗せるとよい。となるとタオルは二枚用意するべき? どうする! 

其の六
男湯、女湯。それぞれの入り口はどう決める?

銭湯を正面から見ると中央に暖簾がかかり、左右で男湯と女湯の入り口が分かれている。お内裏様とお雛様のように左右の位置に決まりがあるのか? を庶民文化研究家の町田忍さんに訊くと、「土地の高いほうを男湯、低いほうを女湯にして建てていることが多い」という。その理由は、女性は髪が長いから、上手側だと抜けた髪が流れ排水管に詰まってしまう可能性があるからだそう。

其の七
銭湯の「栓」を抜くと罪になる?

幼少期、はじめて連れられた銭湯でのこと。家のお風呂とは異なる大きな湯船に驚きつつ、気になって仕方ないことがあった。手の届くところに「栓」があり、抜いたらどうなるのか? 入っている人たちは慌てるのか? 誰の仕業だ、と怒られるのか? と。栓を抜き“明らかに湯が減った&なくなった”場合、器物損壊罪に問われる可能性大。子どもも大人もしちゃいけません。

其の八
「入浴剤」は銭湯から普及した!

カラダのコリをほぐしたり、香りでリラックスしたりなど、家のお風呂にうれしいのが入浴剤だ。日本初の入浴剤は1897(明治30年)に発売された「くすり湯浴剤中将湯」。それまでも薬草や生薬を入れた湯はあったが、製品としてはこれが初。当時、銭湯の看板や暖簾に効能を掲げアピールしたところ爆発的にヒットし、現在も販売されているロングセラーとなっている。

其の九
銭湯建築の不思議

昔ながらの銭湯といえば、社寺建築のような外観が特徴だ。屋根は“唐破風”、正面には“兎の毛通し”という飾り彫刻が設けられ、宮型造りと称される。この様式が登場したのは関東大震災後。焼失した銭湯を再建すべく棟梁・津村亨右氏が宮大工の技術を持っていたため。内部も凝っており、日本建築で最高格式を誇る“格天井”に吹き抜けという、東京型銭湯独自のスタイルが誕生したのだった。

其の十
なぜ桶は「ケロリン」なのか?

黄色の桶に「ケロリン」のロゴ。銭湯でおなじみ「ケロリン桶」の秘密はP20でじっくりご案内!

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