私たちは毎日、もしかしたら毎時間、新型コロナウイルス(COVID-19)のデータや仮説や憶測さらにはばかげた陰謀論に囲まれて混乱している。数学的思考や何らかの批判的思考の下地があったとしても、どうやってこの状況を正しく理解すればいいのだろうか。
あなたがこの混沌を理解「したい」と考え、まだ一定の立ち位置や見方を決めていないと仮定しよう。そして、どんな新しい情報が入ってきても自分の思考になんらかの変更を加えることには抵抗する、という信念の持ち主ではないことも仮定しよう。しかし、残念ながらそういう人がなんと多いことか。それは、「ビルゲーツの仕業だ」から「われわれがウイルスである」、「単なるインフルエンザにすぎない」、「とにかくロックダウンを終えるべき時に間違いない」までさまざまな不平をぶちまけている人たち全員に当てはまる。
百歩譲って彼らを擁護するなら、私たちは今ソーシャルメディアで、ニュースあるいは「ニュースらしきもの」が、何ら意味のある説明も考察もなく流れてくる世界に生きている。こうしたニュースの「すばらしき新世界」では、誰もが自分自身で自分自身の文脈を決める必要がある。そうすることは、読んだものごとを正しく理解するために、今最も必要なスキルになりつつある。
たとえあなたがそのスキルに恵まれていたとしても、私たちはリアルタイムで起きているサイエンスを目の前にしている。驚くべき仕事が驚くべき速さで成し遂げられている。私たちは奇跡の時代に生きている。それを踏まえても、必要なプロセスはみんなが思うよりずっと厄介だ。査読前の論文と相互査読された論文の重みの違いを知る必要がある。モデルとデータ、仮説に基づく推論と残酷な事実との違いも。
これは調査結果の取り扱いにも当てはまる。薬品Xが有効か否かに関するあなたの意見が、支持政党が薬品Xを支持しているかどうかによって変わるとしたら、それはあなたが科学的に間違っているだけでなく、あなたの「知識」も間違っている。ウイルスに政治は関係ない。
微妙な変化も受け入れる必要がある。たとえば人工呼吸器。当初の考えは「できる限り多くの人工呼吸器が必要だ!」だった。しかし最近では、「人工呼吸器は乱用されている、益より害の方が大きいこともある」という懸念が出てきた。どちらも正しいかもしれない。過度な思考の単純化でこのカオスを乗り切ろうとする誘惑に負けてはならない。
雑音を選り分ける有効な方法は、3つの情報カテゴリーを区別することだ。
(A)自分たちの知っていることは真実である
(B)自分たちの考えていることは、十分強力な裏付けとなる証拠に基づく推論である
(C)その説は憶測である
世の中には、著しく証拠に乏しい(C)でありながら、(B)のふりをしているものが山ほどある。そして、確実にカテゴリー(A)に属している残酷な事実もたくさんある。たとえば、ウイルスが検査されなければ医療崩壊が起きるという極めて明確な証拠が、武漢、イタリアのロンバルディ、スペイン、そしてニューヨーク市で繰り返し見せつけられている。
軽度のカテゴリー(C)に属すものとして、当初新型コロナウイルスのち市立は0.025%程度だろうという憶測があった。今、1万3000人以上のニューヨーク市民が、新型コロナウイルスによる死亡として確認、あるいは可能性ありと分類されている。人口850万人のこの都市で死亡率は0.15%、これは「全市民」に対する割合であって、感染者に対する割合ではない。この種の憶測を、カテゴリー(D)「完全な誤りであると証明済み」と再分類する時はもう過ぎている。
あなた自身の信念をカテゴリー(D)に移動する勇気をもつことも重要だ。誰にもわかっていないことはたくさんあり、今も学習していることがたくさんある。もしあなたが、今全部の答えを知っていると思っているなら、自分があきれるど間違っている可能性の高さを考えてみてほしい。さもなければ今後あなたがウイルスについて議論をする機会も、あなたの信念の正しさを納得させられる機会もないことを保証する。だから、新たな証拠に出会ったときに、信念を変える覚悟をもつだけでなく、積極的に「変えたい」と思う気持ちをもつことを心がけてほしい。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook )