【編集部注】TechCrunchのライターであるRita Liao(リタ・リャオ)の中国から米国、そして中国への帰国の旅は、新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックが世界中で発生する何カ月も前に計画されていた。パンデミックによって、単なる帰国は大変な印象に残る旅になった。記事には彼女が移動した場所には触れられているが、ストーリーの本題に集中するためその詳細は省く。
焦点は、新型コロナウイルスの感染規模が拡大するなか、移動とともに世界の展望と見通しが変化する様子をユニークな視点で見ることができたことだ。この期間の日記をここに掲載することで、読者に主観的な視点の一部を伝える。当然ながら、(テック業界で働いているかどうかにかかわらず)現在のあらゆる人の生活に関係しているテクノロジーを、この記事では切り口にしている。アプリは、実際に人と会うことができないときに我々をつなぎ、物事を進めるうえで不可欠なものになっている。各国政府は事態の追跡にテクノロジーを慌てて使用している。驚くべきことに、最も一党独裁主義的だと考えられた対策でも危機には十分ではないのだ。結局、我々の情報すべてはインターネットからくるのだから。
出発
3月13日夜、フィラデルフィアから中国へ帰国するフライトの前夜、滞在していたAirbnbのホストが私の部屋にお別れを言いに来た。私は多数のマスクやハンドジェル数個をスーツケースに詰め込んでいたところだ。2月初旬、米国に到着してすぐ新型コロナウイルス感染防止のために買いだめしたものの残り。中国で生産がハイピッチで行われるようになったので、中国の家族に持ち帰ろうと思っていたもののほとんどを米国の友人や親戚に譲っていた。
3月初めにこの家に着いた際、細身で快活な50代初めの植物学者のホストにもこれらの防御グッズが必要かどうかを聞いた。彼女は穏やかに微笑んで、自分は心配していないと言った。フィラデルフィアにはほとんど感染者は出ていなかったし、彼女はマスクは使ったことがないらしい。
丁寧に断りながら彼女はこう尋ねた。「マスクをすると病気だと思われるわ。アジアの人はどうしてマスクをするの?」。
一般の人にマスクが必要かどうかについては賛否両論があると説明した。新型コロナウイルスの伝染を防ぐためには効果があるというのが合意の下にあるのだと。西洋の衛生当局者は長らく、患者または感染者と接触のある人だけに着用を推奨していたが、最近米国では公の場ではあらゆる人にマスクを着用するよう勧める動きが出てきた。
アジアでは、新型コロナの発生以前からマスクの風習があった。 この病気の潜伏期間は27日間にもなる場合があり、多くの人が気づかないうちにキャリアになる可能性があることから、マスクの着用が他の人を守る結束の表れになった。中国の都市では、すでに公共の場でのマスク着用が義務付けられていた。私にとって、マスクは気休めでもあり顔を触らないためにも役立っていた。
1週間のうちに感染は全米で急速に拡大し、フィラデルフィアにも新たに何十人かの感染者が報告された。あらゆる大規模なイベントは中止され、私のホストも何件かのキャンセルの被害にあっている。
防御グッズがいらないか、もう一度彼女に聞いてみることにした。「ありがたくいただくわ。ハンドジェルを持ってないし、 マスクも持ってないの」。今回は目を輝かせて答え、こう尋ねた。 「でも、どうやって着けるの?」。
グッズを渡しながら、自分がコロナウイルスから逃れようとするのは2回目であることに気が付いた。数カ月前、今回の米国旅行を計画しているときは、それが2回もの大脱出になろうとは想像もしていなかった。最初は病気の感染が広がり始めている中国からの脱出、そして同様の危機が起こり始めようとしている米国からの脱出だ。
第1~2週:パラレルワールドでの恐怖
50日ほど前に米国に旅立つ際、私は不安で落ち着きをなくしていた。 客観的に考えれば、私が新型コロナに感染する可能性は低い。効果的な対策をいち早く講じた台北のような被害の少ない都市にいたし、香港発のフライトの99%の乗客はマスクを着けていた。しかし、出入国管理の突然の変更や、予告なく行われたフライトキャンセルなど、伝染病の流行によって引き起こされた不透明な出来事が重なることで、私の不安も高まっていた。
到着地のテキサスは不気味なほど普通だった。2月下旬に米国初の市中感染が報告される3週間前のことだ。入国審査では予想していた検査はなかった。体温チェックも、最初の新型コロナウイルス発祥地の中国の都市、武漢にいたかどうかの質問もなかった。 安心すると同時に、機内で着けていたマスクを捨てた。「ここは安全だ」と自分に言い聞かせた。マスクを外した理由の多くは、この地にはマスクに対する偏見があるためだったが、マスクをしていない人たちを見ることで安心感を得ようとしていた。
この安心は長くは続かなかった。実際この時から8週間、私は理性と妄想の間で揺れ続けることになった。
宿泊させてもらうはずの親戚と友人は、私を泊めることができなくなっていた。 彼らの雇用主はどちらもアジア系で、テキサス州にはそのような規制はなかったものの、中国からの訪問者と接触のある従業員に14日間の自己隔離を義務付ける新しい規則が言い渡されていた。
厳密には、私は自由に外出できたが、現地の中国人コミュニティ内に存在する恐怖は明白だった。 祖国から離れている人々の気持ちを祖国につなぐためのデジタルツールは、国外の現実から引き離すものにもなった。 WeChatからの恐怖をあおる多量の投稿を見て、多くの中国人移民は、米国で大規模な流行が報告されるずっと前から日用品の買いだめを始めていた。 チャイナタウンはゴーストタウンと化した。中国にいる母は、米国ではアジア系の人しかマスクをしていないことを聞くと縮みあがり、マスクをするように、人込みを避けるように、というメッセージを連日送ってきた。
私が従ったのは後者のメッセージ、人込みを避け、自主的に14日間、他の人との距離を取ることだけだった。感染を恐れてのことではなく、無症状感染者として他の人を感染させるのでは、という妄想にかられていたからだ。この伝染病を理解するための情報をむさぼる行為は不安を強めることにしかならなかった。ここで体験した沈黙は、コロナウイルスがすべての人類にもたらした大きな不確実さの中での孤立と同様に、耐え難いものだった。
第2~5週:折り合いを付ける
2週間後、ついに人との接触を再開することを決めた私は、礼儀として自分が中国から来たことを人々に明かした。人々の反応はさまざまだった。
ほとんどの米国人の友人は中国の状況に同情を示し、私が安全な場所にいることを喜んでくれた。高齢者と同居している現地の歯科医は、21日後までは診察できないと言った。新型コロナの症状がでるまでに最長で21日間かかるという。 米国在住の中国人の友人の何人かは、疫病からの脱出を祝福するジョークを飛ばした。脱出のために来たのではないが、実際私はラッキーだった。50代の中国人の知人は握手を避け、米国に来て何日経つかを恐る恐る聞いてきた。
私を疑いの目で見る人のことは気にしないように努めた。 彼らの反応は生き残るための本能に過ぎないのだから。中国での感染の拡大に伴って信頼も損なわれていった。隣人たちはおしゃべりをやめ、エレベーター内でくしゃみをする人はひんしゅくを買った。 仕方ないことだが、こうしたちょっとした態度の変化が長期的には人との関りや精神衛生に打撃を与える可能性があるだろう。
この時点で、私は自分はおそらく感染していないと思った。 テキサス州が正常に機能していたこともあり、閑散とした並木道を他の人と距離を取りながら歩くことができた。 平静を取り戻したところで、米国旅行の2番目の目的地、フィラデルフィアに移動した。私は中国語で書かれたこの伝染病に関する記事の山をむさぼるように読み始めた。ウイルスの暗闇の中に一縷の望みが見いだせればと思っていた。
室内に閉じ込められた中国の人々は、難しい問題を熟考せざるを得なかった。それは離婚率の増加など、意図しなかった結果を招いた。例を見ない数の市民活動や、今回の危機に端を発する討論は、多少の慰めになった。一般の人が病気と闘うストーリーが党や市民のジャーナリストによって鮮明に語られた。内部告発者の李文亮氏の死は、インターネット上で類を見ない怒りを生み出した。もう1つ興味深いことは、インターネットユーザーが暗号を使って検閲されたインタビューを急いで保存したことだ。
中国当局に対する異例の集団抗議運動は、瞬く間に断片化されたデジタルの世界に姿を隠した。中国の強硬な封鎖が実質的な効果を見せ始めると、オンラインユーザーは国の緊急時対策をいち早く声高に賞賛し始めた。一部の人はモバイルゲームや動画のストリーミングなどの気晴らしに没頭することで時間をつぶした。この間、学校や企業は、民間のテック企業によるITサポートの下、デジタル技術を駆使して再開されようとしていた。
オフラインの世界でも中国は通常に戻りつつあった。 実店舗は再開を許可され、移動の制限は全国で緩和された。 人々は徐々に自宅から出始め、警備員の目の届かないところではマスクを外して新鮮な空気をこっそりと吸い込むのだった。
日常生活にそれほど変化がない人にとっても、生活はより不確かなものになった。 高収入を得られる職業に就いている人は仮想会議に出席したり、テレワークブームの恩恵を受けたりする一方で、サービス、製造、物流業界で働く人々は自宅にいるわけにはいかず、人々の生活を守るために昼夜を通して働いていた。おそらく彼らには有給休暇はなく、多くは企業健康保険も持たない。今回の健康危機は、格差を浮かび上がらせることにもなった。
第6週: 安全を求めることの代価
中国行きフライトの出発ゲートにたどり着くやいなや、中国が近いことが肌で感じられた。群衆は一様に何らかの予防対策を顔に装着していた。私はまだだった。何週間にもわたるマスクのない環境に慣れ、シカゴでの乗継時には着用の必要性を感じていなかった。他の人との距離を保つことだけは注意していた。香港と中国本土への乗客以外には、空港ではマスクを着けている旅行者はほとんど見られなかった。
それでも、私も一致団結の精神にのっとりマスクをつけた。しかし他の人の防御手段は、私を恥じ入らせるほどのものだった。多くの人は医療用手袋をはめ、研究室用の保護ゴーグルを装着している人もいる。中にはプラスチックのポンチョをかぶり、自分で触った物を消毒してまわっている。マスクの片耳を外して水を飲んだ私は悪いことをしたような気になった。機内食を食べるなどもってのほかだ。
他の人の防御手段に圧倒されただけではなく、それぞれが入手したマスクの違いにも興味を引かれた。丈夫だが入手が困難なN95マスクには法外な値段を払わなければならない。ほとんどの人はより安価な医療用マスクをしているが、これも供給者にコネがなければ入手は困難になってきている。スポンジマスク、イラスト付きの洗える布マスク、果てには自作のオシャレなショールのようなものなど、効果が定かではないものを着けている人もいた。2002年にSARSが流行した時には、私もハローキティのマスクを着けて小学校に通ったものだった。
フライトも防御格差を見せる小宇宙となった。ファーストクラスでは乗客同士は安全だと言われる距離を保って席に着くことができ、窮屈なエコノミーの乗客は伝染病が大流行する最中に飛行機に乗るリスクと、安全だと思う国への帰国のメリットを天秤にかけたのだった。
飛行機の席を確保できたことさえ恵まれたことだった。 航空会社はいずれも渡航禁止令による影響を受けていたものの、大規模な政策変更の前後には、需要が一時的に急上昇する可能性があった。新型コロナを世界的パンデミックとするWHOの宣言を受け、世界中の学校がオンラインでの授業に移行し、学生寮は閉鎖され、海外留学生は自国へ帰るように促された。 航空券の値段は急騰した。 帰国を希望しながら、その値段を支払えない人は取り残されることになった。
第7週:不確実さとの闘い
飛行機が地球を横切っている間、新型コロナの中心地は国外に変遷し、私の地元の深圳市では海外からの感染の流入を防ぐため、4カ国からの入国者への強制隔離を8カ国に拡大した。これには米国も含まれていた。
午後8時、深圳の税関検査は病院の待合室の様相を呈し、何百mにも伸びた列はほとんど動いていないようだった。 コロナウイルスの感染者を検出するための検査が行われていた。この最新の政策は正式には発表されておらず、多くの旅行者はまだ家族が到着ゲートで待っているものと思っていた。イライラと混乱が、強烈な蛍光灯に照らされるホールに充満した。 全員へのウイルスのテストは入国時なのか、あとで隔離場所でされるのか?外国人も無料でテストを受けるのか?隔離には料金の支払いが必要なのか?
入国審査官すら詳細を知らなかった。中国の封鎖対策はウイルスの拡大と同様に流動的だった。帰国者の波は国の医療リソースを急速に圧迫し、隔離施設に姿を変えた格安ホテルを満員にした。
午前1時、やっと私の体温チェックの順番が来た。旅行履歴や健康状態など、同じような質問が書かれた異なる政府機関用の十種類ほどの書類に記入した。優れた技術力を誇っているはずの中国で、なぜこのような面倒な作業がまだデジタル化または合理化されていないのか?国民を監視するリソースが、政府の他の優先事項に回っているのか?
私は疲れ果てていたが、私を検査した税関職員は私より疲れているようだった。12時間を超えるシフトによる疲弊は明らかだった。防護具を全身につけてはいるものの、彼はマスクが鼻の下にずれているのに気が付かないようだった。
「あなたはいつ家に帰れるの?」と私が聞くと、「さあ。帰国者はこんなにいるんだよ。また中国で大流行を起こすわけにはいかない。今は働くしかない」と何でもないことのように答えた。
私の書類が整うと、国境を超えることができた。 直ちに中国はテキストメッセージで私の入国を祝福し、公安部への登録が促された。通信事業者からのロケーションデータで、私が最近「感染の被害が甚大な」米国にいたことが示されているからだ。 ウイルスの蔓延は、個人を監視することを政府にさらに正当化させた。不思議なのは、政府はすでに豊富な市民データを自由に利用できるのに、なぜ当初、武漢からの旅行者の追跡に苦戦していたのか、ということだ。
Rita Liao(リタ・リャオ)@ritacyliao 2020年2月12日
中国政府が移動データを基にコロナウイルスへの感染リスクを測るアプリを立ち上げた。 しかしなぜ今? 地方政府や企業から市民データを収集/統合することが困難だったから? もっと前に導入されていれば、このアプリがウイルスの封鎖に役立っていたのでは?Rita Liao(リタ・リャオ)@ritacyliao
@thisboyuanが教えてくれたように、政府が伝染病発生中の人々の移動の追跡に苦心したことから、北京で実施している国民の監視システムにはまだかなりの問題があることうかがえる
2020年2月12日 3:45 PM
私は20人の旅行者からなるグループに振り分けられ、隔離先のホテルへ向かうシャトルバスを待った。20人のうちほとんどが海外へ留学していた中国人学生だった。私たちはすぐに打ち解け、この現実離れした8時間の入国審査について愚痴を言い合ったが、実際に怒っている人は誰もいなかった。反対に、最前線で働く医療従事者と出入国管理職員に心からの感謝を一様に口にした。
お腹がペコペコだった。1人が全員のWeChatグループを作って、食べ物のデリバリーを注文することを提案した。「3.14隔離」というピッタリな名前が付いた私たちのWeChatグループは、さまざまな問題が発生した隔離期間中の情報交換や、支え合いに役立つことになった。道路清掃車の音が遠くから聞こえる。時計は朝4時を打ち、バスはホテルに到着した。
第8週: 混沌の甘受
体温チェック、食事の配達、核酸検査、各種政府機関からの電話、新しい隔離場所への移動などが突発的に行われるなか、ホテルでの隔離中に身体を中国時間に戻すのは事実上不可能だった。ある夜、私たちは30分で荷造りして、バスで深圳の外れまで移動するように言われた。そこで私たちはウイルス検査を受け、8時間後の午前3時にまた前と同じ地区にある別のホテルに連れて行かれた。
隔離仲間たちは、この予測不可能な状況にいら立ち、助けになりそうな人に手あたり次第電話をかけ始めた。ホテル従業員、現地職員、親戚、友人から得た情報の断片をWeChatグループで共有するなか、何かが見えてきた。隔離システムは、民間組織と公的機関の間の大規模な動員と複雑な調整によって行われているらしい。これには、医療従事者や共産党下級行政機関(居民委員会と呼ばれる)から、政府の助成を受けたホテルや団地までが含まれる。
政策立案者による頻繁な変更に際し、たびたび各地の当事者はこれを大慌てで実施しなければならず、誤解を招いたり、逆効果の行動をとってしまうこともある。私たちをバスに詰め込み右往左往したのもこの結果だった。持ち場の仕事の説明しか受けないので、プロセス全体を把握していない。そのため、政策立案者に近いところからの情報を得ることが死活問題だった。ホテル従業員に何が起こっているか聞くより、疾病管理部で働く親戚に電話する方が役に立っていただろう。不確実な状況で少しでも確実な情報を把握したいとき、中国では個人的なコネが一層重要なようだった。
内部情報を聞き出した一部の仲間が、この仕組みを解明した。隔離場所に送られる前に、私たちは自宅住所を報告していた。これは各区政府がその帰国住民の隔離を担当するためだ。通常、財源の豊富な地区ほど質の高い宿泊施設と食事を提供するので、少しでもよい扱いを求めるのに必死な人たちにとって、この情報も貴重だった。
私は混乱を甘受することにした。少しでも情報を収集し、上層部からの継続的な規則の変更を把握しようとしたが、この対処法だと瞬く間に不安に陥ってしまうからだ。
セルフケアのためのアイデアは、これまでにいろいろと提案されているが、コロナウイルスから2回の脱出を遂げた私としては、少なくともその有効性は証言できるだろう。情報は1つか2つの信頼できる情報源に絞り込むこと。身体を動かすことを忘れないこと。誰かに電話すること。ユーモアのセンスをなくさないこと。深呼吸をして、マインドフルネストークに時間を当てるのもいい。新型コロナによって長期的な変化が起きる可能性はますます高まっている。今後の変化に備える気概を維持しておくことがのぞましい。
3月29日の午後、私の地区の居民委員会の職員が私のドアをノックした。青い防護服に身を包んだ職員に最後の体温チェックを受け、隔離完了を告げる書類をもらった。私はすぐにマスクを着け、階下に降りた。
街は一瞬いつもと同じように見えたが、よく見ると、中国を離れた2カ月間で起こった、目立たないが長期的な変化が見えてきた。
あらゆる人がマスクをしている。一人で車を運転している人でも。建物の入り口では体温チェックと消毒が行われている。多くの小さなレストランは閑散とし、営業を再開しているところでは中で食べている人より、外で待っている配達スタッフの方が多い。戦時下のようなプロパガンダポスターが街頭のあちこちに貼られ、疫病との戦いはまだ終わっていないことを告げている。世界は、以前と同じ状態にはもう戻らないのだろう。
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(翻訳: Dragonfly)
- Original:https://jp.techcrunch.com/2020/04/23/2020-04-08-outrunning-covid-19-twice/
- Source:TechCrunch Japan
- Author:Rita Liao