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Facebookとの関係をなかなか断ち切れないユーザーの苦悩

Haje Jan Kamps(ヘイジ・ジャン・キャンプス)氏は、数年前にTechCrunchのライターとして活躍し、その後、Konf(カンフ)というバーチャル会議プラットフォームを立ち上げた、起業家であり写真家でありジャーナリストだ。先日、私は彼に連絡をとり、新型コロナウイルス(COVID-19)蔓延している現在の仕事や生活について話を聞いた。しかし話の内容は、ソーシャルネットワーク、メッセージ、ライブストリームの各プラットフォームで行動が記録され、このパンデミックの間も多くのユーザーが使い続けそうな気配があるFacebookのことで長々と盛り上がった。

そして、もともとは大学生専用のSNSだったFacebookが、2006年ごろに13歳以上で有効な電子メールアドレスを持つ人なら誰でも参加できるようになったときからFacebookを使っているキャンプ氏に寸評というかたちで意見を聞いた。

以下はあくまで彼の私的見解だが、世界中で友だちや家族と離れ離れになっている数多くのFacebookユーザーが、その巨大ハイテク企業との関係を深めるほどに、その成長の勢いを助長している現実への苦悩を裏付けている。

なおキャンプス氏の言葉は、字数の調整と明瞭化のために、多少編集してある。


私はこれまで何度もFacebookとの関係を絶ってきた。なぜなら、それはあまりにも多く、あまりにも頻繁に人のアルゴリズムを変更するために、ときどき本当にうんざりさせられるからだ。だから私はマウスカーソルを使って、しばらくの間そこから抜け出るほうに投票する。そしてまた戻ってくる。すると、たくさんの友だちが新しいことや何やらをやっている。

私は、友だちの人生が更新されるのはいいと思う。だが、世界の重荷を自分で背負いたいとまでは思わない。私は少し前、自分の気持ちを楽にしたくてニュースを読むのを意識的に止めた。もしそれがFacebookの裏口から入り込むようなことがあれば「いらねーよ」と言ってやる。

今朝、ちょっとした出来事があった。目が覚めて少し寝坊したけど、Facebookを見ると私の友だちがライブ配信をしていた。人々を少しだけ励まそうと考えたようだ。彼女はウクレレを引いて15分ほど歌っていた。20人ぐらいの友だちが見ていたが、彼女は「みんなにとって良い日でありますように」みたいなことを言っていた。みんなが自宅隔離を要請される以前は、そんなことを言う人じゃなかった。

たくさんのグループが登場している。古いグループの活動再開も見られる。私も、Human Awareness Institute(ヒューマン・アウェアネス・インスティテュート、人間性を覚醒させるワークショップ)でひとつ始めてみた。そこには、大規模なグループでの共有というコンセプトがある。基本的に、大勢の人の前に立って真実の、心がこもった、自分と密接な事柄を話すというものだ。ワークショップはすべて中止せざるを得なかったが、反対にデジタル版でもみずみずしく美しい連帯感が得られることがわかった。みんなは支えがほしくてそこへ飛び込んでくるわけだが、私の話に寄せられた大量のコメントには、Facebookが長い間失ってきたものが感じられた。

実にわかりやすいと思うが、私の一番大きな気付きは、Facebookは単なるツールに過ぎず、どのツールを使うか、それで何をするかは自分で決めなければならないということだ。そこを、喜びやクリエイティブな活動を広めるための場所だと自分で決めれば、そして他の人たちがそうしているのを見た私がとてもいい気分になれたなら、私も同じようにするかもしれない。

私とFacebookとの間には愛憎がある。何週間も、ときには何カ月もサインインしないときがある。インターネットと、そこで得られる情報には大変に感謝しているが、米国では基本的な原典批評すらまったく教えられていないようだ。つまり、インターネットで何かを読んだとき、それが真実かどうか判断できるかどうかだ。私が育ったノルウェーでは、歴史の時間に原典そのものを批評することを教わる。「これは信頼できる情報源か?」「『勝者のが書いた記録』ではないのか?」「どのように情報源をつなぎ合わせれば、現実に起こったことを心地いい話にできるか?」と問われる。

フェイクニュースがなんとなく支配権を持つようになった事実に、私は恐れを抱いている。先日のヨガの教室でのことだ。ヨガの先生が小さなスプレーボトルを持ってきて(マットをきれいにするためのものだ)こう言った。「この中にはエッセンシャルオイルが入っています。手やマットや顔にも使えます。食用なので飲んでも大丈夫です」と。これって「食用だったらウイルスには効くわけねーよな」みたいな。たしかに、エッセンシャルオイルの中には一部のウイルスに有効なものもあるだろう。私はわからない。だが、消毒剤が発明されたのには相応の理由があるのだ。

人は、自分が信じたいものには幻想を抱き、それを肯定する言葉だけが聞こえる場所に身を置きたがる。ワクチン忌避運動もそのひとつだ。ほかにも馬鹿らしいニュースが世間には山ほどある。今の社会状況を真剣に知りたいと思えば、私ならBBCやニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのようなしっかりとした報道機関に頼る。なぜなら、公表されているものは実際にある程度の分別のある内容かどうかを検証する仕組みを彼らは内部に持っているからだ。

インターネットでそれをやるのは、かなり難しい。現在は、これまでになく大量の情報にあふれている。望むならば、もっとも優れた情報が手に入る。医療専門サイトで新型コロナウイルスに関する記事を読むこともできる。だが、絶対に100%捏造でありながら、人々が真実だと思い込んでいるニュースも大量にある。私ならこう言う。「寄ってたかって馬鹿ばっかりなのか、ただそう信じたいだけのどちらからだ」とね。

Facebookが真実を見極めるを監視人になるべきかどうかについて、私は特に意見を持っていない。しかし、偽情報がいとも簡単にシェアされ拡散してしまう事実は、大規模なパンデミックが続く中で、何ひとついいことはない。

画像クレジット:Getty Images

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(翻訳:金井哲夫)

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