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また行きたくなる!インドネシア・スラウェシ島ってどんなとこ?<コーヒー農園訪問記・前編>

※この記事は2019年7~8月にかけて行った取材をもとに構成しています

キーコーヒーから「コーヒー農園を見に行きませんか?」と声が掛かったのは2019年春のこと。コーヒー好きなことはもちろん、コーヒー生産地の訪問をライフワークにしてみようかなと思い始めていたので、もう二つ返事で「行きます」宣言。

その後、予防接種を受け、ようやくやってきた7月下旬。

ガルーダ・インドネシア航空、羽田発ジャカルタ行きの便で出発です。

事前に聞いてはいたけれど、まぁ機内の寒いこと寒いこと。南の国に行くわけだからと、Tシャツ&ハーフパンツと準備万端の身には、おそろしい寒さ。借りたブランケットをかぶって過ごしました。

7時間ちょっとかけて、ジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港第3ターミナルに到着。日本とジャカルタの時差は2時間。ちなみにインドネシアはタイムゾーンが3つあり、ジャカルタを含む西部が最も時差があります。

この日はバスでホテルへ。

■ジャカルタはバイクだらけ!

▲ホテルから朝のジャカルタ市街を望む

2日目。ジャカルタは世界一の渋滞都市というイメージが強く、アジアの喧騒にあふれた大都会という勝手なイメージを持っていたんですが、街ナカなのに緑が多く、雰囲気はいい。なんだか住みやすそう。

なーんて思ってたんですが、そこはやはり大渋滞が名物ということはこの後よくわかりました。

この日は、インドネシア最大の食品の展示会を見学。バスで移動したんですが、いやはや道はクルマだらけ。そして東南アジアらしくバイクがとにかく多い。大きな建物の前は、たいがいバイクで埋まってます。

中でも目立つのが、緑のヘルメット。マレーシアの新興企業「Grab」のカラーです。Uberのような配車サービスなんですが、ここジャカルタではバイクが主流。昔のバイタク(バイクタクシー)が配車アプリに変わったということらしい。クルマだと渋滞に巻き込まれるから、たしかにバイクの方が早いかも。

そうそう、インドネシアは日本と同じく道路は左側通行です。その理由はのちほど。

▲2年に1回開催される大展示会「FOOD & HOTEL INDONESIA」の会場

▲多くの人でにぎわってました

今回は、キーコーヒーのトラジャ事業を取材することが目的です。そのトラジャ事業を現地で担う「トアルコ・ジャヤ社」もここに出展しているんだとか。

この展示会はインドネシア国内向けなのですが、近年インドネシアでは高品質なコーヒーの需要も高まっているとのこと。そのため、ここでホテルやスーパーへPRをしているそうです。

▲その場でハンドドリップした「トアルコ トラジャ」コーヒーの試飲もやっていました。うまい!

その後、老舗日系スーパー「Papaya Fresh Gallery(パパイヤ フレッシュ ギャラリー)」を見学したあと、スカルノ・ハッタ国際空港へ。

この日は、国内線に乗り、いよいよ目指すトラジャがあるスラウェシ島へ。国内線ターミナルだから、当然ながらインドネシアの人が多い。ムスリムが多いお国柄なので、ヒジャブを着けている女性もよく見かけます。

ジャカルタからスラウェシ島の中心都市であるマカッサル近郊のハサヌディン空港までは2時間半。

マカッサルはスラウェシ島の南西の端にあります。人口は約130万人。かなり大きな町です。到着したのは夜だったので、この日はホテルへ直行して翌日に備えます。なぜなら、翌日はいよいよスラウェシ島を大移動。330kmをバスで10時間の移動になります。デカいぜインドネシア!

■インドネシアと日本のつながり

出発は朝7時ということで、早めの起床。スラウェシ島はジャカルタとも時差が1時間あり、日本との時差はわずか1時間。時差ボケもなくすっきり。

100万人以上の大都市とはいえ、高層ビルもさほどなく、町の雰囲気はおだやか。東南アジア特有の、都会だけどゆるい感じがあります。

出発して市街地を抜けると、あとは田んぼが広がる一本道をひたすら北上していきます。道沿いを眺めていると点在する家の中に一定間隔で現れるモスク。やはりムスリムが多いのかと日本語バッチリな敏腕コーディネーター、マルセルに聞くと「そんなことないですよ」とのこと。

そしてマルセルは、日本人は意外と知らないインドネシアという国のことを教えてくれました。

インドネシアは多民族国家。300以上の民族がある。だからみんな、インドネシア共通語以外に自分の民族の言葉をしゃべるそう。学校では共通語をしゃべり、家に帰ると自分の民族の言葉でしゃべるのが普通とのこと。

▲途中で海沿いも走りました。ここはマカッサル海峡ですが、海峡とは名ばかりの大きな海で、はるか向こうにカリマンタン島があります

スラウェシ島にもさまざまな民族がいて、マカッサルはマカッサル族でマカッサル語、少し北に行くとブギス族の地域になりブギス語が話されいてる。今回の目的地トラジャもトラジャ族の地域になり、言葉もトラジャ語になるんだとか。

ちなみに「ありがとう」は、インドネシア共通語では「トゥリマカシ」ですが、トラジャ語では「クリシュマンガ」。まったく似ていません。ここまで違うと、国民みなバイリンガルみたいなものですね。

▲インドネシアの主食は日本と同じく米。だから道沿いには田んぼが広がっています

はるか昔から、現在のインドネシアとなる地域にはさまざまな民族がいたそうです。そこに現れたのがオランダ。大航海時代の16世紀に東インド会社を設立し、植民地化します。その支配は20世紀まで続きますが、第二次世界大戦で日本軍が進出。そして日本の統治下に。その時、占領した日本軍は、道路や学校を作るなどインフラを整備します。その名残で、現在も日本と同じく道路は左側通行になっているということらしいのです。

またマルセルはこう話していました。

「オランダが植民地にしていた頃はインドネシアの人々は学校に通わせてもらえなかった。だけど日本が来てみんな学校に通えるようになった。日本軍はインドネシアと戦ったわけでなく、オランダを追い出してくれた国。だから今でもみんな日本が好きなんですよ」

▲マルセルによると屋根のカタチでその家がどの階級かがわかるそう

もちろんこれはあくまでマルセルの考えであって、インドネシアの誰もが感じていることではないのかもしれません。でも今につながる歴史の流れがさまざまな部分に残っているということに、いろいろと考えさせられました。

■華僑が経営するレストランだからお酒がある

トラジャまでの中間地点となるパレパレの町で昼食休憩。入ったのは中華料理店。なんでもこの町で一番おいしくて、さらにお酒が飲めるとのこと。

▲インドネシアを代表するビール、ビンタンとアンカー

インドネシアはイスラム教もキリスト教も仏教もありますが、最も多いのはイスラム教。マカッサルからここパレパレまでの地域はイスラム教の地域らしいんです。だからレストランでもお酒は提供されない。ただし、華僑が経営する中華料理店は別。しっかりお酒を提供してくれます。

ここで、この旅で初めての、日本人にとって最も馴染み深いインドネシア料理を注文しました。それが「ナシゴレン」と「ミーゴレン」。

▲ナシゴレン

▲ミーゴレン

ナシはごはんで、ミーは麺、そしてゴレンは焼くという意味になります。どっちもうまい!

▲でも実はここ「レストラン アジア」で一番おいしかったのは、このアスパラガスのスープでした

 

■トラジャ族の地域に入ったら…

ここまで海沿いの平坦な道でしたが、パレパレから先は山に突入。道が一気に険しくなります。

▲どんな険しい道でもバイクは走ってます。そのほとんどが2人乗り

▲大型トラックだってガンガン登っていきます

途中でトイレ休憩を入れつつ、ひたすら山道を登っていく途中で、ふと気付きました。それまで道沿いにあるのはモスクばかりだったのですが、ある地点から教会が現れたんです。

マルセルに聞くと「トラジャ族の地域に入ったからですね。トラジャ族はキリスト教です」とのこと。

そう、ようやくトラジャにやってきたわけです。そこからさらに坂を登り、目的地であるトラジャ地方の中心地、ランテパオに到着したのは夜の7時近くでした。

この日からは、トラジャ地方の伝統的な建物「トンコナン」を使ったホテルで宿泊です。

▲この日の移動経路

翌日からはコーヒー三昧!

中編へ続く

<取材・文・写真/円道秀和(&GP) 写真/田口陽介>

 

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