※この記事は2019年7~8月に取材したものです
東京から直線距離で約5000km。赤道直下の島、インドネシア・スラウェシ島。バリ島やジャワ島、スマトラ島などと比べると、たしかにちょっと地味かもしれないけれど、そこには太古から今に続く文化が残り、そしておいしいコーヒーがあります。
スラウェシ島の中央部にあるトラジャ地方。ここでは、コーヒーが生産されています。「トアルコ トラジャ」という名前のコーヒーを聞いたことがある人もいるかもしれません。これは、日本のキーコーヒーが1976年にトラジャで始めたコーヒー事業の成果です。コーヒーの栽培環境として理想的なトラジャで、地元の人々と共に長い時間をかけて作り上げたもの、それが「トアルコ トラジャ コーヒー」です。
質の高いコーヒーを栽培するにはいくつか条件があります。そのひとつが標高。1000~2000mが目安と言われています。キーコーヒーがトラジャに設立したトアルコ・ジャヤ社では、収穫期になると1500m以上の高地で暮らす人々のもとを訪れ、コーヒー豆の集買を行っています。
集買を見学させてもらったのは、ペランギアンという集落。標高は約1500m。近隣に住む人々が収穫したコーヒー豆を持ち寄り、それを買い取っています。
近所の人たちが集まれば、当然ながら世間話に花が咲く。みんな楽しそうに話をしています。たしかに町からは遠く、なんとかトラックが通れるような山道を登ってようやくたどり着くような場所ですが、そこで暮らす人たちはたくさんいて、そして収穫したコーヒーチェリーを加工できる施設もある。基本は自給自足だけど、コーヒーで得た現金で、町まで下りて買い物だってする。
「トアルコ・ジャヤが来て、コーヒーが仕事になって、生活が良くなったんだよ」
コーヒー農家組合のリーダーはそう話します。たしかに秘境は秘境です。だけど、そこにはしっかり豊かな暮らしがありました。
■トンコナンに飾られているもの
集買所からトラジャ地方の中心都市ランテパオに向かい山を下りていく途中、多くの「トンコナン」を見かけました。
トンコナンとは、トラジャ地方の伝統的な建物です。
トラジャでは、葬儀を大々的に行うそうです。そこでは参列者から水牛が手向けられ、そして生贄として捧げられます。この大掛かりな葬儀のために、遺族は何年もかけてお金を貯めます。
参列者から供された水牛の頭骨は、誰からのものかしっかり記してトンコナンに並べられます。
そして、次に誰かが葬儀を行う際は、きちんと水牛でお返しするんだそうです。
このようにして死者を送り出すという伝統が今もトラジャには残っています。オランダ植民地時代に入ってきて以降、キリスト教も広まってはいますが、それとは別に先祖から連綿と受け継がれてきた伝統が、トンコナンや葬儀など人々の暮らしの中にしっかりと残っています。
ちなみにトンコナンですが、普段は話し合いや集会で使われているとか。腰を下ろして友人や近所の人とのんびりトンコナンで世間話。なんかいいですよね。
■色彩豊かなトラジャの台所
山を下りて向かったのはランテパオの町。トラジャの中心だけあり、人も多く、大きな市場もあります。
トラジャ地方各地からモノが集まり人が集まる。自分が収穫したものや作ったものを持ってきて売り、そして必要なものを買う。人々の生活を支える市場には、本当にさまざまなものが売られています。
それにしてもバイクが多い。クルマは高価なため、バイクを買う人が多いというインドネシア。だからこそ、首都のジャカルタだけでなく、全国各地でバイクが驚くほどたくさん走っています。
もちろんトラジャもそう。以前はホンダのカブだらけだったそうですが、今は150ccのスクータータイプがメイン。ホンダもヤマハもスズキもありますが、どれも東南アジア向けに作られているホイールが大きくタイヤが細いモデル。これに◯人乗りとかしちゃって、さらに未舗装路や峠道をガンガン走っちゃうんだから、なかなかにカオスです(笑)。
そんなバイク天国ならではの光景は道端にもありました。
これなんだと思いますか? 瓶やポリ容器に入った液体。実はこれ、ガソリンなんです!
日本のようにあちこちにガソリンスタンドがあるわけではない地方では、このように道端でガソリンが売られているんだとか。それをダイレクトに給油。いやはやすごい光景。でもよく見かけました。
■中学生の制服は青!
そしてトラジャ最終日には、トアルコ・ジャヤ社パダマラン農園近くにあるナンガラ第2中学校におじゃましました。パダマラン農園で働く人の子も多く通っている学校だとか。
地域の人たちとのつながりを大切にしているトアルコ・ジャヤ社では、地元の学校の支援も行っています。この日はPCの寄贈でした。
到着すると、トラジャ女性伝統の服を着た生徒がPAGELU(パゲル)という踊りで出迎えてくれました。
この中学校は生徒数147人。授業は朝7時15分に始まるらしく、遠くから通う生徒の中には、朝5時にランプを持って家を出ている子もいるそうです。高校の進学率は95%で、その後はスラウェシ島最大の町・マカッサルや遠くマレーシアに出稼ぎに出る人も。
ちなみにインドネシアでは、小学校、中学校、高校はすべて同じ制服とのこと。だから全国どこでも中学生は青なんだとか。
■エキサイティングな交通事情
コーヒーから文化まで、さまざまなトラジャを見て回り、とうとうトラジャを去る日がきました。もちろん帰りもマカッサルまでは陸路で約10時間。
ランテパオからは一気に山を下り、海沿いの街、パレパレへ。そこからはひたすら南下します。
なかなかに交通事情がエキサイティングなインドネシア。鉄道や路線バスはジャカルタ周辺ぐらいしかないため、地方での近所の移動にはさまざまな手段が使われています。
そして日本車率高し! 見かけるクルマはほぼ日本車といってもいいぐらい。日本では見かけない現地向けの車種も走っていたりと、車窓を眺めているだけでも飽きません。
■インドネシアでも広がりを見せるスペシャルティコーヒー
マカッサルで1泊し、スラウェシ島最終日にはトアルコ・ジャヤ社が運営する直営店「トアルコ トラジャ コーヒー」に立ち寄りました。
2014年にオープンしたこちらでは、市場にはほぼ流通しないトラジャの産地別コーヒーをハンドドリップで楽しめます。
トラジャから直接送られてくる生豆を焙煎し提供しているアンテナショップです。
トアルコ・ジャヤ社代表取締役の石井さんによると「近年はタナ・トラジャが県をあげてコーヒーに力を入れている」とのこと。
「世界的なスペシャルティコーヒーブームの流れがインドネシアにも来ています。首都ジャカルタではロースタリーも増えてきました。今後インドネシア国内の需要は増えると見ています」
インドネシアにはいくつも有名なコーヒーの産地があります。トラジャもそのひとつですが、より「トアルコ トラジャ」を知ってもらうために実店舗を作ったといいます。
「ここ5年ほどで『トアルコ トラジャ』はインドネシア内で知名度が急激に上がってきているんです」
インドネシアで一般的にコーヒーといえば、練乳をたっぷり入れたトブロックです。でも、香り高く味わい深い、甘くしなくてもおいしく飲める「トアルコ トラジャ」のようなスペシャルティコーヒーの味を知ってもらい、ブラックでドリップコーヒーを楽しむ文化が広まれば、約2億6000万人という人口を抱えるインドネシアは魅力的な市場となります。
そのための施策のひとつがこの「トアルコ トラジャ コーヒー」なのです。
このお店には、バリスタが4人もいます。みな現地採用され、オープン前に9カ月間トレーニングし、スペシャルティコーヒーを熟知した人たちです。
そしてお店を後にして空港へ。マカッサルからジャカルタ経由で帰国となりました。
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気候変動などの影響で、コーヒーが飲めなくなるかもしれない「コーヒーの2050年問題」。世界中で親しまれ、世界中に愛飲者がいるコーヒーが飲めなくなるのは大きな問題です。いったい生産地はどうなっているのか。今回、トラジャツアーに参加したのは、それを知りたいと思ったからでした。
コーヒーベルトと呼ばれるコーヒーが生産できる地域のほとんどが発展途上国です。また標高が高い場所でないと質の高いコーヒーは作れないため、産地は町に近い場所ではなく山深い地になります。今回訪れたトラジャも、そういう場所でした。
そこには、日々おいしいコーヒーを作り続けるために研究を続ける人と、そしておいしいコーヒーを収穫することで生活が向上した人たちがいました。
トラジャをはじめ、世界中のコーヒー産地でいま、2050年問題の解決に取り組んでいます。そして生産者は、気候変動に負けずに質の高いコーヒーを供給するべく、工夫を重ねコーヒーを育てています。
コーヒーの木やコーヒーチェリーに触れ、生産者の人たちと接すると、いま目の前にあるコーヒーがとても貴重なものだということがわかります。そして一杯のコーヒーの向こうにはコーヒー農家の人たちがいることを肌で知ると、これまでより深く味わえるようになりました。
ちなみに石井さんは、帰国すると必ずラーメンを食べに行くそうです。やっぱりラーメンが恋しくなるんですね。
<取材・文/円道秀和 写真/田口陽介>
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- Original:https://www.goodspress.jp/reports/320923/
- Source:&GP
- Author:&GP