Amazon(アマゾン)が、新任のFTC委員長で、同社を容赦なく批判しているLina Khan(リナ・カーン)氏を同社関連の決定から外すよう陳情している。同社は、Amazonに対する規制にこれまで失敗してきたことを批判する彼女の言葉遣いがあまりにも感情的であり、問題を公正に取り扱うことができない、と主張している。
カーン氏が外されるかどうかは、FTCが決めることであり、監督委員会が判定する。FTCの広報担当者は、この問題に関するコメントを拒否した。
Amazonの陳情書を以下に引用したが、同社の言い分は、彼女の委員長着任確定前のAmazonに対する批判はあまりにも言葉が過ぎており、同社に関する問題を客観的に検討する彼女の能力を疑わせるに十分であるというものだ。
同社に関するカーン委員長の結論をAmazonは強く否定するが、彼女が以前の役割において長々と挑発的に語ったことの権利は否定しない。しかし彼女の、Amazonに関する詳細な意見表明の長い履歴と、Amazonが反トラスト方に違反したとする度重なる宣言からは、合理的な観察者であれば、彼女はもはや同社の反トラストに関する弁護を公平に検討することができないと結論するだろう。
しかし「合理的な観察者」は同じく、世界最大で最強企業の1つであるAmazonが、現在の反トラスト法は不適切であり古いというプロとしての意見を持つエキスパートの、分析の対象に当然なることは否定できないだろう。
そしてそういうプロフェッショナルだからこそ、彼女は指名され、突如FTCの委員長の座に上ることになったのだ。彼女の論文「Amazon’s Antitrust Paradox」(アマゾンの反トラストのパラドックス)は、オンラインサービス大手に対する復讐状ではない。彼女によるとそれは、まるで独占を法律で認めているような、反トラストの古びた考え方に対する告発状だ。
Amazonはそのための標的の1つだったかもしれないが、しかし実際には同社は、カーン氏がその説得力に富む数多くの論文や記事で主張している、消費者の被害と利益の狭い定義にばかり拘泥する規制に関する古い学派を表すスタントマンだ。企業が消費者の利益に反した行いをする例は、他にもある。たとえば買収した企業のコストを助成して、安売り競争の先頭に立たせ、競争を無にしてその市場を支配するやり口は、Amazonのビジネスモデルの常套手段だ。
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しかも、FTCの委員長という地位は、完全な公平性などではなく、リーダーシップとプライオリティの設定が期待されている。公平性はあくまでも司法のテーマであり、例えば企業のやったことが違法か否かが問われる。判事が長年固執していた意見などの出番はない。カーン氏がプロとして公開し表明してきた意見についても、同様だ。彼女がAmazonに敵対するFTCの捜査や審理を指揮するとしたら、彼女は事実と系統的な議論に基づいて、自分の法解釈をサポートしなければならない。
若いカーン氏をいきなり抜擢した現政権の意図は、推察するしかないが、彼女が主張していた哲学と変化に対する心からの支持表明があったことは間違いない。
反トラストに関するカーン氏の専門家としての能力と観点は、Amazonを映画の悪役に仕立ててしまう。カーン氏が偏執狂的な改革運動家だからではなく、Amazonが規制の史上最大の失敗を表しているかもしれないからだ。それを指摘したことは、Amazonが陳情で求めている「カーン外し」の根拠にはならないが、歴史を作る土台にはなるかもしれない。
下図は、Amazonの陳情書の全文となる。
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(文:Devin Coldewey、翻訳:Hiroshi Iwatani)