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なんと1957年製!古き良きアメリカのプラモデルを作る【達人のプラモ術<パイパー・トライペーサー>】

【達人のプラモ術】
モノグラム
パイパー・トライペーサー・スポーツプレーン(ノンスケール)
01/03

戦闘機やバイク、ロボット、スポーツカーなど、さまざまなプラモデルの作り方・楽しみ方を紹介する、プロモデラー長谷川迷人さんによる【達人のプラモ術】。

今回からは、いつもと少し趣を変え、1950年代にアメリカのモノグラム社から発売されていた懐かしの飛行機プラモを製作。古き良き時代のプラモデルついて紹介していきます。

*  *  *

■プラモデル発祥の国ってどこ?

プラモデルは1936年にイギリスのフロッグというメーカーが発売したのがその始まりといわれています。もともとはホビー用ではなく、軍隊で使用する木で作られていた戦闘機や爆撃機の識別用の模型を、木製から当時新素材だったプラスチックに置き換えたものだったとのこと。

フロッグ社はゴム動力のライトプレーンを販売していた会社なのですが、プラモデルはペンギンシリーズという名称で販売されたそうです。ペンギンというネーミングは、ライトプレーンは飛ばすことができるけれどプラモデルは飛ばない…飛ばない鳥→ペンギンから来ているそうです。

これが世界初のプラモデル。1936年にフロッグ社から発売された1/72ホーカー・ハートMk.Ⅱ。飛ばすことができないので『NON-FLING SCALE MODEL AERPLANES』と表記されています。

 

長谷川迷人|東京都出身。モーターサイクル専門誌や一般趣味雑誌、模型誌の編集者を経て、模型製作のプロフェッショナルへ。プラモデル製作講座の講師を務めるほか、雑誌やメディア向けの作例製作や原稿執筆を手がける。趣味はバイクとプラモデル作りという根っからの模型人。YouTubeでは「プラモ作りは見てナンボです!「@Modelart_MOVIE」も配信中。

 

■ご機嫌最高モノグラム!

第二次大戦の終結後、プラモデルはアメリカでも販売されるようになりブレイクします。それまでスケールモデルといえば、木を削って作るソリッドモデルが主流でしたから、パーツを組み上げるだけで完成できるプラモデルは子供たちの人気の的となりました。ホーク、レンウォール等といったプラモデルメーカーがアメリカで登場し、1950年代にはオーロラ、リンドバーグ、レベル、モノグラムといった日本でも馴染み深いメーカーも登場します。

今回製作の「パイパー・トライペーサー」はアメリカの模型メーカーMonogram(モノグラム)社の製品です。同社は1950年代からプラモデルを販売していた老舗メーカーで、日本でプラモデルの販売がはじまった1950年代当時から“ご機嫌最高モノグラム!”のキャッチフレーズで、ドイツのRevell(レベル)社と並び人気の高いメーカーでした。

「パイパー・トライペーサー」はそんな同社の製品の中でもごく初期のキットで、キットの刻印を見ると発売は1957年となっており、日本では1959(昭和34)年頃から輸入販売されていたようです。ちなみに日本製のプラモデルが初めて登場したのは1958(昭和33)年です。

スケールは概ね1/33(当時は箱のサイズでキットのスケールが決められていました)。キットはエンジンとインテリアの再現に加えてドアの開閉も可能で、さらに狩りの獲物の山猫(たぶんクーガー)を前に記念撮影をするハンターとカメラマンのフィギュアが付属しています。自家用飛行機で狩りに出かける、当時の豊かなアメリカ文化に憧れを抱かせてくれたのが、こうしたプラモデルでした。

▲1950~60年代のモノグラムのロゴマーク

▲70年代には人物のイラストとTHE NAME FOR Quality HOBBY KITSのキャッチフレーズがなくなり、文字のみのロゴマークに変更されている

▲1962年当時のモノグラムのカタログ。当時国産メーカーの1/72飛行機プラモは50円~100円だったが、海外メーカーのキットとなれば500円~1000円と高嶺の花。模型少年のお小遣いでは手の届かない憧れのメーカーだった

 

■キットを製作

モノグラムのキットは当時から他メーカーの比べて高いクオリティが特徴でした。製作したキットは入手した時点で、インスト(説明書)を紛失してしまったらしく付いていなかったのですが、パーツも少ないので組み立てには支障はありません。塗装も分からないので箱絵や実機の写真を参考にしています。

▲パーツにアメリカに生息する山猫(たぶんクーガー)発見。ハンターに狩られた姿とはいえ、妙に平べったいのは御愛嬌(笑)

▲獲物とハンターとカメラを構えた相方のフィギュア

▲このセンスが、何より楽しい

▲胴体内部に1957年製造の刻印が打たれている。メイド・イン・USAは当時の憧れ

▲シンプルだけれどよく再現された機内

▲ドアは開閉可能

▲内装は箱絵を参考に塗装

▲裏側が再現されていないシートの背面にプラ板を追加、マスキングテープでシートベルトを追加しただけで雰囲気アリアリに仕上がった

 

■パイパー・トライペーサーとは

アメリカのパイパー・エアクラフト社が第二次大戦後に開発した4人乗りの高翼機で、前輪式の降着装置が特徴です。1950年台から1960年台まで、複座型のパイパー・コルトと合わせて約9500機が生産されたベストセラー軽飛行機になります。

 

■“プラモデル”という名称

プラモデルという名称は、日本の模型メーカー マルサンが1959年(昭和34年)に商標登録したものです。当時、他の模型メーカーでは「プラ模型」「プラキット」「プラスチックモデル」といった名称で呼んでいたんですね。「プラモデル」の商標は1975年(昭和50年)日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲され、自由に使えるようになり、今では広く普及しています。

次回もプラモデルのヒストリカルな話を交えつつ、トライペーサーの製作を進めていきます。お楽しみに!

 

>> [連載]達人のプラモ術

<製作・写真・文/長谷川迷人>

 

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