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カブの“スーパー”な歴史を振り返る【いいね!スーパーカブ】

【いいね!スーパーカブ】

60年以上前に、今でいう「ワークライフバランス」を実現していたのがスーパーカブ。この世界一優秀なバイクが生活圏内で当たり前に走っている凄さと幸せを噛みしめながら、カブの“スーパー”な歴史を紐解いていく。

*  *  *

Honda初のオリジナル製品である「A型自転車用補助エンジン」が世に出たのは、1947年のこと。その後、次なるビジョンを模索する中、創業者・本田宗一郎がたどり着いたのが「より大衆に寄り添うバイクを作らなくてはならない」という結論だった。

悪路に適した馬力、女性でも取り回せるサイズ、クラッチレバーを廃した片手で扱えるシステム、そして、飽きないデザイン。当時の製造現場では実現不可能と思われる要素もあったが、全てをクリアして'58年に誕生したのが、スーパーカブの記念すべき初号機「C100」である。

この画期的なバイクは、発売からわずか5カ月で2万4千台を売り上げ、翌'59年には16万7千台もの売り上げを達成し、空前のヒットとなった。本田宗一郎が描いた「誰でも簡単に扱えて、生活に密着したバイク」として、片手で扱えるほどの取り回しとスピーディに移動ができる機動力を実現。広告戦略の効果もあり、日本全国4000軒もの蕎麦屋から注文が入るまでに。ここで蕎麦屋といえばスーパーカブという印象や、後の配達バイクとしての礎が築き上げられた。

 

■日本の大衆の脚から世界の名車へ

スーパーカブは、あっという間に大衆の心を掴み、大きなシェアを獲得したが、Hondaの視点は同時に海外へも向けられていた。

最初のターゲットはアメリカ。革ジャンを羽織った荒くれ者が巨大なバイクに跨って走り回るのが良しとされる国へ、小さくて小回りの利く大衆車が乗り込んだ。1959年の進出当初は苦戦した時期もあったが、結果は大成功となった。

▲海外初の現地生産拠点はベルギー。日本企業として初めてEEC(欧州経済共同体)域内に工場を設立。関税障壁が高かった欧州での販売戦略における重要拠点となった

バイクショップだけでなく、釣り具店やスポーツショップを通じた独自の販路も功を奏し、日常の脚として、またハンティングや釣りといった趣味のお供として、「バイカー」以外の大衆から熱烈な支持を受けた。

Hondaが所有する'63年の資料には、アメリカのオートバイ総販売台数推定17万台のうち「約70%がホンダのシェア」という記録が残っている。

当時の日本の総理が首脳会談に臨んだ際、大統領に「貴国のホンダは、アメリカ人の生活をすっかり変えてしまった」とまで言わしめたという逸話が、その存在の大きさを物語っている。

▲1961年に英国のマン島で行われる世界的なレース「マン島TT」の125cc、250ccクラスで初優勝。Hondaの名と技術力を世界に知らしめた

日本を代表する名車となったスーパーカブだが、その進化はとめどなく繰り返されていく。

'64年には、それまで採用されていたOHVエンジンからOHCエンジンへの変更を決断。バルブがシリンダーの上部に設置されたOHVより、シリンダーヘッドにカムシャフトが内蔵されたOHCの方がパーツ数が少なく、性能を上げやすくなる。それを小型バイクに搭載する困難なプロジェクトを完遂し、'66年に発売された「C50」に採用したことが、さらなる躍進を導いた。

70年代前後になると、販売台数は世界累計700万台を突破。日本新聞協会からの要請があり、配達業務に特化したスーパーカブが開発されたのも、このころ。蕎麦の出前、郵便、新聞、牛乳などに代表される配達業務に最適なバイクで、単なるモビリティではなく、社会インフラの一部として存在が定着していった。

80年代の第二次オイルショック時の省エネ事情に対応するため低燃費を実現した「50SDX」、規制がバイクに厳しいといわれた、'99年施行の排ガス規制をクリアした「50カスタム」など、大衆の脚=社会インフラとして時代に即した進化をする。60年以上変わらぬコンセプトだ。

近年は配達バイクの枠にとどまらず、スタイリッシュなデザインや塗装を取り入れて、女性ユーザーを含む幅広い層にアピールするなど、若い世代のライフスタイルにも影響を与えるスーパーカブ。利便性、乗り心地の良さ、運転する楽しさを追求し、60年以上前からワークライフバランスを追求してきたスーパーカブは、やっぱり世界一優秀なバイクなのだ。

 

■記録にも記憶にも残るモーターサイクルの歴史をおさらい

【1952】自転車用補助エンジンが始まり

「カブF型」

「カブ」という名称が最初に冠された製品は、自転車用の補助エンジン。押しがけの要領で走りながら作動させる。

 

【1958】伝説の始まりは「蕎麦屋のバイク」

「スーパーカブ C100」

4ストローク OHVエンジンを搭載。省燃費、高馬力、操作性の良い小径タイヤなど、一般大衆向け機能が詰め込まれている。

 

【1958】欧州攻略にモペッドタイプのモデルを投入

「C310」

1962年、欧州拠点として「ベルギー・ホンダ」が誕生。そこで生産されたモデルで、欧州進出の礎となった一台。

 

【1960】スポーツモデルのカブ、現る

「スーパーカブ C110」

「C100」に新設計フレームを採用した、スポーツタイプのカブ。手動クラッチ式の3速ミッションで走る楽しみを強化した。

 

【1962】アメリカでの地位を確立し始める

「CA100」

アメリカで展開された「ナイセスト・ピープル・キャンペーン」に採用されて大ヒット。ロングセラーモデルとなった。

 

【1963】アメリカでブームを巻き起こす!

「ハンターカブ C105H」

アメリカ向けに開発された、Honda初のトレイルモデル。ブロックタイヤを搭載し、悪路をものともしない走破力を誇る。

 

【1966】OHCエンジンを全モデルに採用

「スーパーカブ C50」

エンジンをOHVからOHCに変更。燃費、最高時速の向上が図られ、カブは新世代へと突入した。

 

【1968】二輪初のポジションランプを搭載

「C90」

ヘッドライトの下に、二輪車初となる大型のポジションランプを設置。いわゆる「行灯カブ」のルーツが誕生した。

 

【1968】海外での人気車両を国内販売開始

「CT50」

走破性に優れ、アメリカで人気の高かったトレイルモデルのハンターカブを、日本仕様にリニューアルして販売。

 

【1971】「行灯カブ」が日本を席巻する

「スーパーカブ C50」

ボディと燃料タンクが一体のプレスボディ仕様。「行灯」を受け継ぐ新しい「C50デラックス」は、カブの人気を不動にした名車。

 

【1978】騒音対策規制対応車へリニューアル

「スーパーカブ C50DX」

マフラーの形状を変更して、騒音規制に対応。低中速トルクを向上させ、より配達に適した仕様に。

 

【1981】輸出専用CT90の国内向け後継車

「トレッキングバイク CT110」

「ハンターカブ」「CT90」「CT50」に続く、トレイルモデルの後継車。「トレッキングバイク」というジャンルの確立に貢献した。

 

【1982】50ccの史上最強の5.5馬力が売り

「スーパーカブ50SDX」

角目のヘッドライトが印象的な一台は、5.5馬力のパワーを秘めながら、リッター150kmという脅威的な低燃費を実現した。

 

【1982】レアなボディカラーが話題に!

「赤カブ」

高出力、低燃費の「50SDX」を「モンツァレッド」に染め上げた深紅のカブが登場。「赤カブ」の異名を持つスペシャルなモデル。

 

【1983】燃費性能で脅威の180km/Lを達成

「50 スーパーカスタム」

副吸気回路を採用した「新エコノパワーエンジン」を搭載し、前年を更新するリッター180kmの低燃費を達成。

 

【1988】パワフルな「タイカブ」を逆輸入

「カブ 100EX」

タイの現地工場で生産されていたモデルを逆輸入。「タイカブ」と呼ばれ、当時のシリーズ最大の排気量を誇った。

 

【1997年】「リトル」登場で女性ファンも続々

「リトルカブ」

14インチの小径タイヤを採用。柔らかなサスペンションで乗り心地抜群の小柄なモデルは、女性ユーザー獲得にも貢献。

 

【2009】ビジネス仕様の「王道モデル」

「スーパーカブ110」

オリジナル性を受け継ぎ、実用性と経済性を兼ね備えた実力派モデル。21世紀に入っても、カブの思想と伝統が継承されている。

>> 特集【いいね!スーパーカブ】

※2022年7月6日発売「GoodsPress」8-9月合併号102-103ページの記事をもとに構成しています

<文/溝口敏正 協力/ホンダモーターサイクルジャパン>

 

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