シンガポールは、コロナ禍でも堅調な東南アジアの投資市場を牽引している国です。世界知的所有権機構(WIPO)のイノベーション指数(GII)では15年連続で上位10位以内を維持しています。
一方で「最先端のテクノロジーならアメリカ、イスラエルには敵わない」「日本にも同じような研究・スタートアップはある」という声も挙がっています。
そんなシンガポールで、総合容器メーカー東洋製罐グループがイノベーションに取り組む理由とは、どんなものなのでしょうか。
東洋製罐グループ シンガポールのChief Business Developmentである遠山梢氏に、シンガポールのエコシステムの特徴や、東洋製罐グループが事業開発拠点にシンガポールを選んだ背景についてご寄稿いただきました。
なぜシンガポール?
「なぜシンガポールでイノベーションに取り組むのか?」
2019年にイノベーションの事業機会探索拠点をシンガポールに立ち上げ、活動を開始して以来、繰り返し聞かれてきた質問です。
1917年創業の総合容器メーカー東洋製罐グループは、100年培った技術ノウハウを活用してSocial Goodを創出する事業開発を目指し、2019年にグループ横断のイノベーションプロジェクトOPENUP!を始動。
その推進部門として、東京本社にInnovation Incubation Officeを設立すると同時に、シンガポールにFuture Design Labを立ち上げました。
その後、プロジェクトの1号案件として、2020年9月にシンガポールを拠点とするエビ等甲殻類の細胞培養開発を進めるフードテック・スタートアップShiok Meats社への出資を実施。食糧・タンパク質危機の解決や一次産業における環境負荷低減を目指して事業共創に取り組んでいます。
プロジェクトを開始した2019年当時、イノベーション最前線といわれたアメリカ・シリコンバレーから広がったイノベーション・エコシステム*1が世界各地で活性化し、“ポスト・シリコンバレー”はどこか、という議論が盛んに行われていました。
その1つに挙げられていたのがシンガポールです。
*1…行政、大学、研究機関、企業、金融機関などの様々なプレーヤーが相互に関与し、絶え間なくイノベーションが創出される、生態系システムのような環境・状態(文部科学省より)
シンガポールは、政府の強力な推進力によって、コロナ禍でも堅調な東南アジアの投資市場を牽引し、投資件数は域内最多を記録しています。2021年の1年間で、10社ものユニコーン企業を輩出しました。
世界知的所有権機構(WIPO)のイノベーション指数(GII)は15年連続で上位10位以内を維持しており、2022年は7位にランクインしています(日本は13位)。
イノベーションを起こすならシンガポール?
一方で、
「最先端のテクノロジーならアメリカ、イスラエルには敵わない」
「日本にも同じような研究・スタートアップはある」
「人口の少ないシンガポールでは市場規模が見込めない」
という声もよく耳にします。
私もシンガポールへ赴任した当初は、革新的なテクノロジーや独自のビジネスモデルが多くあるわけでもなく、大きな市場を有しているわけでもないにもかかわらず、エコシステムとしてシンガポールが高い評価を受けていることが不思議でした。
“シンガポール政府の強力な推進力が東南アジアのハブ機能を形成している”という説明が一様に繰り返される中、周囲で唱えられる「アジアのNo.1 イノベーション・エコシステムはシンガポール!」という主張の背後に「シンガポールは(日本に比べて)イケている」というポジショントークが透けて見えることもあり、ますます「本当に?」と疑問に思っていました。
それが今、「ある条件に適したイノベーションを目指すなら、シンガポールは優れたエコシステムである」という実感に変わってきています。そのきっかけは、イスラエルや欧州のカンファレンスに参加したことでした。
カンファレンスの場で、私は一緒に参加していたスタートアップや投資家、VC(Venture Capital:ベンチャーキャピタル)、事業会社などに、食や資源循環の領域で自社が目指す事業コンセプトについて話をしました。
会話の中で、同じ内容であっても「アジアに製造拠点をもつ日本の容器メーカー」よりも「シンガポールにイノベーション拠点をもっている事業会社」の方が関心をもたれる確率が明らかに高いことに気づきます。
そして、関心をもって頂いたスタートアップやVCには共通項がありました。
その共通項は、革新的な技術、事業であること、規制・ルールメイキングが必要、プロトタイプをもちPoC(Proof of Concept:概念実証)を実施中などいくつかありますが、いずれも「スピーディーにPoCを繰り返しPMF(Product Market Fit:製品の市場適合)すること」を最優先事項と考え、事業環境を探していました。
さらに、カンファレンスでは、シンガポール政府関係者が基調講演やパネルディスカッションを積極的に展開。リソースが限られ市場規模が小さいという小国ゆえの弱みを、「小国だからこそ、意思決定がシングルレイヤー*2で迅速」かつ「リソースが限られているからこそ、重点領域が絞られ明確」という強みに置き換え、イスラエルや欧州のプレーヤーが求めるPoCに最適な事業環境がシンガポールにあると強調していたのです。
*2…都市国家であるため、行政区分が単層。日本や欧米諸国の多くは、国・都道府県・市区町村と複数層で構成されている
その10カ月後、東洋製罐グループは、シンガポールの細胞培養甲殻類スタートアップShiok Meats社への投資を実施しました。
培養肉の社会実装を見据える
シンガポール政府は、2030年までに食糧自給率をカロリーベースで10%未満から30%に引き上げる「30 by 30」という目標の実現に向け、熱帯都市環境での畜産、養殖を可能にする技術として細胞農業食品を重点項目の1つに選定しました。
そして、各国の有力フードテック・スタートアップのニーズがPoCを実施できる事業環境であることを捉えると、主幹組織として食品庁を立ち上げ、研究開発から事業化までを一貫支援する体制を構築。
世界最速で培養肉の安全に関する規制を制定し、認可プロセスを構築することに成功し、2020年12月、世界で初めて細胞培養による食品の製造、販売を承認した国となりました。
それ以降、シンガポール政府が用意したフードテックの社会実装に向けたPoC環境には、世界中のスタートアップやVC、アカデミア、事業会社といった多様なステークホルダーが集まりPoCを実施し、エコシステムを成長加速させています。
東洋製罐グループは、この多様なプレーヤーが次々とPoCを繰り広げる変化の大きなエコシステム中で、自社の事業開発へと繋げようと取り組んでいます。
より最適な事業環境を目指して
そのエコシステムの特徴は以下の通りです。
・自国の強み、弱みを明確に認識していること
・自国の価値を最大化できる分野に、限られたリソース・アセットを集中させていること
・世界のイノベーションプレーヤーが求める、スケールアップ前の「スピーディーにPoCを繰り返せる事業環境」を実現していること
決して恵まれた条件ではない中で実践してきた、グローバルでの生き残りをかけたポジショニング戦略こそが、シンガポールの強力な推進力を生み出しているのだと思います。
「なぜシンガポールでイノベーションに取り組んでいるのか?」
それは“東洋製罐グループの事業開発の方向性、フェーズに適した事業環境が今ここにあるから”とお答えしています。
シンガポールへ赴任して3年。まだ、置かれた環境で起こる変化を捉え、どう適応して事業開発に繋げるか手探りで進めている状態ですが、自社の事業開発に適した事業環境を選び、最適な環境に変化させていけるように取り組みたいと考えています。
<著者プロフィール>
遠山 梢
東洋製罐グループ シンガポール / Chief Business Development
2006年ガラスびんメーカー東洋ガラスに入社。2019年に東洋製罐グループ シンガポールに赴任し、ソーシャル・イノベーション創出を目指すOPENUP!プロジェクトを推進。クラフトビール好き。
- Original:https://techable.jp/archives/187032
- Source:Techable(テッカブル) -海外・国内のネットベンチャー系ニュースサイト
- Author:はるか礒部