【スニーカーとヒト。Vol.9】
「この連載ですが、全10回で一旦終了です」。担当編集者から届いたLINEのメッセージには、そう書かれていた。『&GP』といういわゆるモノ系メディアの連載でありながら、モノではなくヒトにフォーカスする奇特な内容ゆえ、突然の余命宣告も致し方なし。それよりも、急遽残り2回の登場者を決めねばならない。ここで改めて述べておくが、本連載は“レアなスニーカーを取り挙げる”でもなく、“旬の人物に登場してもらう”わけでもない。人の数だけ人生があり、そこに寄り添う一足のスニーカーがある(はず)という考えのもと、「この人はどんなスニーカーを履いているんだろう?」というフトした疑問の答え合わせ。それがテーマである。
ゆえに、これまでも様々な職業の人々に登場してもらったのだが、やはり足元のパブリックイメージがない人の方が面白くて興味深い。そこで今回オファーしたのが、料理研究家の「きじまりゅうた」さん。
NHKで冠番組も持ち、著書多数とメディアに登場する機会こそ多いが、上半身しか基本的に映らない職業ゆえどんなスニーカーを履いているのか知らない人も多いはず。まさに企画意図にドンズバ打ってつけだ。話はトントン拍子で進んで取材当日。訪れたのは彼の仕事場。その玄関先で筆者を出迎えてくれたのが、NIKE(ナイキ)の「AIR HUMARA QS」であった。では、スニーカーの話題は後に譲るとして、まずは彼のキャリアからディグっていくとしよう。
■変わらず貫くMYスタイル、“キャップとキックスと包丁”
【お気に入りの1足】
NIKE
「AIR HUMARA QS」
「祖母も母も料理研究家だったので、その影響から将来は料理の道に進みたいと考えていました」。そう語るきじまさんだが、筆者が最初に知った頃の彼は、とあるストリートブランドのディレクターだった。思い返すと同時に疑問符が頭に浮かぶ。“アパレル業で成功を収めて飲食店を始めた”なんて話こそよく聞くが、そもそも料理の道を志していたなら、ストレートにその道に進んだ方が早かったのでは?
「完全になりゆきですね(笑)。大学で入ったのが新設学部だったこともあって授業のコマ数も少なく、余裕で単位も取れちゃうから毎日ヒマで。そんな時に、バイト先の先輩から『ブランドを立ち上げたから遊びに来なよ』と誘われて、事務所を訪れたのをキッカケにお手伝いをするようになり、その先輩のもとで同級生と新たなブランドを立ち上げることに。肩書きこそディレクターでしたが、本当に小さな会社だったので、企画からデザインはもちろん、生産管理に営業だけでなく、品出しや卸し先への配送まで全部やりました」。
最初の半年間は無給だったが、その後は売り上げからパーセンテージで給料が出るように。大学生には多すぎるほどの収入を手に入れ、昼間は学び働き、夜はクラブで飲んで遊んでの放蕩三昧。そんな正調モラトリアム時代を満喫していた彼も、大学卒業を機に新たなステップに進む決心をする。「料理の道に進むために辞職を願い出ました」。
…が、引き止められた結果、すぐには辞められず1年間だけ調理師専門学校に通いつつ働くことに。「祖母も母も学校で学んだわけではなく、あくまで家庭料理がベース。なので2人とはまた違った飲食店で働くプロ料理人の視点で勉強したいと思ったんです」。そしてさらに1年後、卒業と共に晴れて退職して母親のアシスタントに就き、いよいよ料理の道に足を踏み入れる。
「実の母子とはいえそこは仕事だし、プロの現場で学ばせてもらえる代わりに給料は些少。あまりにも金欠で、先輩からデザインの仕事を回してもらったり、友達の親父がやっている居酒屋でバイトしたりしてどうにかこうにか(苦笑)。なので当時は、好きなスニーカーも全然買えませんでした」。
修行の日々は3年間にわたって続き、2008年に独立。このとき27歳。折りからの料理ブロガーブームに乗って活躍する同世代からやや遅れてのデビューではあったが、時代は彼の味方だった。翌2009年、自身初の著書『弁当男子』が刊行されたタイミングで、“料理男子ブーム”が到来したのである。
メディアは料理男子を盛んに取り上げるように。「そこに上手いこと乗っかれました(笑)」。当時を振り返って冗談混じりに話すが、もちろんそれだけの実力を備えていたのは明白なる事実。かくして一躍シーンの最前線に躍り出たきじまさん。さらにNHKの料理番組『きょうの料理』で、陳 建太郎さん(父は四川販店のオーナーシェフ・陳健一)と柳原尚之さん(父は江戸懐石近茶流宗家・柳原一成)と料理人の3代目によるユニット「おかず青年隊」が結成されたことで、その名はいよいよ全国区へ。そこで重要な問題が浮上する。自身のキャラクターについてだ。
「改めて自分のオリジナリティとは何かと考えて、出た答えが“ストリート”しかないなって。当時は他にそんな人がいなかったので、面白がってもらえました」。好意的な声があれば、その逆も。まさに賛否両論。「当時はピアスも着けていたし、ヒゲも生やしてさらにはキャップまで被るようになって。番組のスタッフさんからは何も言われませんでしたが、視聴者の方々からのありがたいご意見は沢山いただきましたよ(笑)」。
それでも己のスタンスを曲げず貫き、今では“ストリートをバックグラウンドに持つ料理研究家”という無二の存在として認知されている。
ところで、料理研究家とはどんな仕事なのだろうか? キッチンで包丁の腕前を披露してもらいつつ、気になる仕事の中身を聞いた。
「料理を考えて作るのはもちろん、クライアントの“こういう企画で、こういう料理を作ってもらいたい”というリクエストに対して出来る限り応えつつ、理想と現実の落としどころを見つけ出す。これが1番の仕事です」。その内容はあまりにも多岐に渡り、よく「そんなことまでするんですか!?」と驚かれるという。「たとえば、テレビに出演する際は、ほぼ台本から考えるような感覚です。レシピを考案して、調理中のどの部分をクローズアップして見せるか、それで尺に合うかまで考える。構成作家みたいな仕事もしています」。
これらが料理でいうところの下準備とすれば、本番である調理こそが最大の見せ場。かといって、ただ作ればいいワケではなく、重要なのがトーク術。「俺はむしろ、ベシャリだけでやってきたといってもイイんじゃないですかね(笑)。最初はとにかく真面目にやっていたけど、これが自分で観ても超つまんなかった。『ここで野菜を細切りにします』なんて説明するまでもないし、だったらもっと面白い話をした方が、視聴者の皆さんを飽きさせないんじゃないかなって」。
思い立ったら即行動。リズムや声の強弱といった喋り方を徹底的に研究し、“トークモンスター”きじまりゅうたが爆誕。「元々、ヒップホップやレゲエが好きだったので、その辺りも活きてきたんじゃないですかね」。流れるように紡ぐウィットに富んだ言葉の数々。そのライムの切れ味はまるでナイフ。この男、やはりモノホンプレイヤーに違いない。
このように進化の歩みを止めないきじまさん。コロナ禍においては新たな挑戦も。「世の中が停滞しているからって、自分も同じところで足踏みし続けているのはマズイな、前に進まなきゃと思ってYouTubeを始めました!」。
彼が運営する『きじまごはん』では、料理が飛躍的に上手になる、誰も教えてくれないマル秘テクや、すぐ出来るレシピなどを紹介。チャンネル登録者数1万人超えで、SNSとの連携もあって若い世代からも人気を博している。「ただ月1回の収録時にアシスタントに支払うギャラ、料理に使う食材費全部ももちろん自腹。さらに動画撮影用の機材も揃えたから、まだまだ大赤字継続中(苦笑)。編集もすべて自分でやっています」。興味がおありなら、ぜひチェックを。では、ここらで本題となるスニーカーに話を移すとしよう。
アラフォー世代なら懐かしく感じるであろう本作。NIKE(ナイキ)が1997年にリリースしたこの「AIR HUMARA」は、同社で数多くのシューズデザインを手掛けたピーター・フォグの処女作であり、アウトドアラインとして今なお人気を誇るACGコレクションの中でも、ファンの多い名作として知られている。「オリジナルが発売された当時の僕は高校1年生。ちょうどファッションに興味を持ち出した頃で、雑誌やショップで見る姿に憧れを抱きつつも、手に入れる事が出来なかった思い出のモデルなんです。なので先日、渋谷の〈アンディフィーテッド〉で見つけた瞬間、OG(オリジナル)カラーにテンションが上がっちゃって即購入しました」。
これまでスニーカーニュースサイトを毎日欠かさずチェックするも、なかなか購入にまでは至ることはなかったきじまさん。その背中を押したのがショップスタッフの言葉だった。「この90’sモデルならではの“イナタイ”感じが気に入って『人気ですか?』と聞いたら、『全然売れてないっす!』と即答(笑)。ってことは周囲と被る心配もないし、最高じゃん!って」。このへそ曲がり精神もまた、ストリートにて培われたものに違いない。
本作の特徴となっているのが、オートバイのホイールとフロントディスクブレーキから着想を得たというアッパーのサイドパネル。タフであることが求められるアウトドアの環境下に適したメッシュ素材で全体を包み込み、オーバーレイ部分は耐久性に優れたレザーで補強。軽量性と耐久性を兼ね備えた当時最先端のルックスが、90年代後半〜00年代ファッションが注目されている今また新鮮に映る。
もちろん履き心地の良さも言わずもがな。特殊素材によるコーティングを施して強化されたミッドソールは、前足部に反発性に優れた“ズーム エア"、後足部に柔らかなクッション性の“エア”が内蔵されており、歩行を快適にサポート。事実、トラクションに優れた厚めのソールは様々な場面に対応してくれる。
「ひと口に料理研究家といっても色んな仕事をします。なかでも俺の場合、なぜかロケ撮影で畑を訪れる事がやたらと多くって(笑)。そんな時にも踏破性に優れる上、頑丈で汚れにも強いコイツが活躍するんです」。右手に包丁、頭にキャップ、足元にタフなキックス。これぞ、きじまりゅうたスタイル!
今年42歳を迎える同い年2人。取材時にお互いニューエラのキャップを被っていたことから、自ずと“いつまでストリートファッションをし続けるか”という話題に。「結局、キャップもスニーカーも好きで中学生の頃から格好が何も変わってないし、これからも変わらない気がしています。最近だって、古着屋でゲットしたお気に入りの90’sアイテムに身を包んだ姿を見た妻から、『30年間同じ格好している人みたいだよ』なんて言われたりしつつ(苦笑)」。“好き”という初期衝動に忠実に生きてきた結果、押しも押されぬストリートおじさんとなった我ら。他人(ひと)事とは思えぬ同輩の話に「いいね」を連打する。
そして27歳から積み上げたキャリアも、今年で15周年目を迎える。「といっても、人から言われるまで完全に忘れてましたが(笑)。この業界では、90歳台でいまだ現役の大先輩がゴロゴロいますし、自分はまだまだ。長らく続いたコロナ禍も収束に向かっているのでもっと色々な事が出来そうだし、周りの音楽をやっているヤツらとも『なにか面白い事をやりたいね』と話しています」。最後に「料理研究家に必要なものとは?」という問いを投げかけた。
「やっぱり料理のレシピにしろ、自分自身のキャラクターにしろ、大事なのはオリジナリティだと思います。あとはやり続ける事。このまま90歳を超えても料理研究家で、しかもヤンキースのニューエラに『AIR HUMARA』を合わせているようなジジイになっていられたらイイなって。それってメチャクチャ格好いいですよね。自分は生涯この道を進んでいくつもりです」。
* * *
彼のシグネチャーメニュー「あじの干物のアクアパッツァ」のように、時間をかけて凝縮された旨味と面白味を武器に、きじまりゅうたはこれからもシーンをサバイブし続けていくのだ。
>> スニーカーとヒト。
<取材・文/TOMMY>
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- Original:https://www.goodspress.jp/columns/527921/
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