【PRODUCT HISTORY #003】
バイクブームの盛り上がりもあって、2輪免許を取得する人も増えていますが、バイクに乗る上で欠かせない装備なのがヘルメット。ライダーの生命を守る存在だけに、最も重視されるのは安全性です。
その安全性において、モータースポーツの現場をはじめ、多くのライダーに高い評価を得ているのがアライヘルメット。その歴史を振り返るとともに、安全性へのこだわりを掘り下げます。
■サーキットで証明されてきたその安全性
アライヘルメットのルーツとなるのは、明治35年(1902年)に設立された新井帽子店。その2代目である新井広武が、作業用保護帽の製造を開始します。そして彼自身がバイク乗りであったことから、バイク用ヘルメットを手掛けるように。自身の頭を護るためというのが、ヘルメット作りのスタートでした。
初のバイク用ヘルメットとして納品されたのは、川口オートレースのレーサー向けに製作されたもので、1952年のことでした。
形状こそハーフタイプですが、外側のシェルにはこの時代からFRPが用いられています。内装はまだコルクが使われていましたが、1958年にはFRPのシェルに発泡スチロールの緩衝材という現代まで続くヘルメットの基本形を完成させています。
バイク用ヘルメットの需要が一気に拡大するのは、1970年代に着用義務が進んだ頃。
1976年には株式会社 新井ヘルメット(現アライヘルメット)が設立されます。この頃にはフルフェイスの形状も完成されており、レースも盛んになっていたことから、アライは開発やPRの場としてサーキットを選びます。国内はもちろん、海外のレースにも積極的に参加し、ライダーたちからその性能を評価されるようになりました。
「転倒しても、他社製のヘルメットだと脳震盪を起こしてすぐに立ち上がれなかったのが、アライをかぶっているとすぐにレースに復帰できるという話が口コミで広がり、多くのライダーに使ってもらえるようになりました」(アライ広報担当)
安全性の高さは、FRPを用いた堅牢な作りも大きな理由でしたが、もうひとつは丸みを帯びたシェイプにありました。
今は「R75 SHAPE」と呼ばれるタマゴ型のフォルムは、衝撃を“かわす性能”に優れ、転倒のダメージから人間の頭を護ります。さまざまな形状のデザインが許容されるようになった現代でも、アライ製のヘルメットがタマゴ型の形状を基本とし、空力パーツなどは外付け式としているのは、この“かわす性能”を重視しているためです。
まだ、バイク用ヘルメットの規格が存在しなかった時代から、アライでは独自に衝撃を検証し、事故から助かった事例を数多く調べる中で、丸みを帯びた形状で衝撃エネルギーを分散し、FRPの帽体と衝撃を吸収する発泡スチロールの内装という構造にたどり着いていたのです。
■高い安全性を担保する独自の社内基準
現在、バイク用ヘルメットの規格には、JIS規格とスネル規格が存在しますが、アライ製品のほとんどが、世界で最も厳しいといわれるスネル規格をクリアしています。
この規格は約5年ごとに基準値が更新され、少しずつ厳しくなっていきます。衝撃吸収試験では、1回目が3.06m、2回目が2.35mの高さから落下させ、内部に伝わる衝撃が基準値以下でなければなりません。
ガードレールに見立てたエッジアンプルによる試験や、尖ったストライカを3mの高さからヘルメットの上に落下させる耐貫通試験も行われます。
年を追うごとに規格が厳しくなるため、アライでは規格の基準値の半分以下の数値でも通過できることを目標とする社内基準を設けています。この基準は「アライ規格」と呼ばれ、世界中のライダーから安全性を高く評価されている理由のひとつです。
転倒時の衝撃吸収能力だけでなく、事故を防ぐために重要な視界の確保にも定評があります。
アライ製のヘルメットは多くのレーサーが愛用していますが、有名なのはロードレース世界選手権の125ccと250ccクラスでチャンピオンとなり、MotoGPクラスでも活躍したダニ・ペドロサ選手の逸話。雨のレースでアライ製のヘルメットを試したところ、シールドが曇らない視界の良さに感激し、母国メーカーとの契約を解除してアライと契約を結んだというエピソードです。
■憧れのライダーのレプリカも数多くラインナップ
1980〜90年代のレースが盛り上がっていた頃には、トップライダーのレプリカカラーのヘルメットをいくつもラインナップ。これも、多くのレーサーに愛用されていたことの証で、憧れたライダーも多いのではないでしょうか。
有名なのは1983年に最年少で500ccクラスを、1985年には500cc、250ccの両クラスでシリーズチャンピオンに輝いたフレディ・スペンサーのレプリカカラーでしょう。同社のレプリカヘルメットの中でも数多く売れたモデルで、実は今でも南海部品のオリジナルモデルとして販売されています。
映画『汚れた英雄』で主人公のスタント役を務めたことでも知られている平忠彦のレプリカモデルも人気が高かったもの。その後、WGPや鈴鹿8耐などでも、このカラーのヘルメットで大活躍したので記憶している人も多いのでは。
筆者が個人的に憧れていたのが、ダイナミックなライディングで人気の高かったケビン・シュワンツのレプリカモデル。1993年には500ccクラスのチャンピオンを獲得しています(その頃は別のカラーになっていて、こちらもレプリカモデルが販売されていました)。
デザイン的にインパクトが大きかったのは、1994年から1998年まで5年連続で500ccクラスを制したミック・ドゥーハンのレプリカモデルでしょう。カラフルなスイカのようなデザインで、今見るとかぶるのに勇気が必要に思えますが、当時は多くのライダーがこのレプリカヘルメットをかぶっていました。
ほかにも、SP忠男のアイコンでもある目玉のデザインが印象的な中野真矢モデル、“マモラ乗り”という言葉を生んだ独特のライディングフォームで有名なランディ・マモラモデルなど、記憶に残っているカラーがいくつもあります。
■市販品にも最高峰の安全技術を投入
こうしたトップライダーがかぶっていたヘルメットも、実は一般ライダー向けに市販されていた製品と基本的には同一とのこと。これは、安全性についてはGPライダーも一般ライダーも最上のものを提供したいというアライの考え方に基づくものです。
同社のフルフェイスのラインナップには、フラッグシップモデルの「RX-7X」(トップライダーがかぶっているのは基本的にこのモデル)から、ツーリング向けの「ASTRO-GX」、レトロスタイルの「RAPAIDE-NEO」などがありますが、安全性については基本的に差をつけていないとか。グレードの違いは帽体構造や通気性などの快適性、デザインの違いによるものです。どのグレードのモデルであっても、安全性には妥協をしないという同社の姿勢が感じられます。
半世紀を超える歴史を重ねる中で、安全性に関わる技術は常にブラッシュアップを繰り返しています。FRPに用いられるガラス繊維は、グラスファイバーから強度が30%高いスーパーファイバーに進化。素材コストは約6倍とのことですが、安全性を高めるために採用に迷いはなかったといいます。
衝撃を吸収するための発泡体であるライナも、ヘルメットの部位に応じて硬度の異なる素材を一体成型。数多くの落下テストを繰り返してきたデータに基づき、使用範囲を細かくチューニングすることで理想的な緩衝効果を発揮することができるようになっています。
そして、アライ製のヘルメットは品質を確保するため、すべて自社工場にてハンドメイドで製造されています。塗装に関しても1gでも基準をオーバーしていれば研磨し直して調整する程の精度で仕上げられているとか。今日もさいたま市にあるアライの工場では、世界に誇れる安全なヘルメットが、1つひとつ手作業で生み出されています。
>> アライヘルメット
<取材・文/増谷茂樹 写真提供/アライヘルメット>
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- Original:https://www.goodspress.jp/columns/528505/
- Source:&GP
- Author:&GP