「ヂェン先生の日常着」という台湾の服飾ブランドをご存知でしょうか。
特に2010年代以降、日本でも感度の高い女性たちの間で大ブレイクとなった「ヂェン先生」こと鄭惠中(台:ヂェン・ホェチョン)さんによるブランドで、着心地の良い自由にくつろぐための衣服ばかりを発表しています。
ブランドのタグはなく、アトリエで服を買った際の袋は、お菓子やお茶などの進物などの使い回し。多くのファッションブランドの真逆をゆくような姿勢で、必要以上の付加価値を衣服に持たせず、あくまでも「日常着」を貫くブランドです。
それでいて、実に繊細なパターンの日常着たちは、着る人のプロポーションをカバーするものでもあり、ユニセックスで着こなせるアイテムばかり。つまり、ブランドよりも「着る人とその生活」を優先させているようにも感じます。
筆者は当初、台湾に行く度に「妻へのお土産」として「ヂェン先生の日常着」を買っていましたが、たまたま買ったものがオーバーサイズだったため、筆者自身が着ることに。すると、その着心地の良さ、ビビッドなカラーリングに筆者のほうがどハマりし、今では妻よりも多く「ヂェン先生の日常着」を着るようになりました。
ただし、日本の男性の間ではまだまだ未知なる「ヂェン先生の日常着」。今回は台湾・中和にあるヂェン先生のアトリエを訪ね、今日に至るまでのストーリーと、服飾に込める思いをご本人に聞きました。
■「3交代・24時間稼働の服飾工場」で感じた疑問
ヂェン先生は1956年、台湾南部の古都・台南に生まれました。
そして、1975年頃のハタチ前後に台湾北部の服飾工場に勤務しますが、ときは大量生産の時代です。3交代24時間で服飾を作る日々を送り、そのリーダーとして何十人かの工員を統括する立場だったヂェン先生は「働く若者たちの権利も全くない……こんなことは続かないだろうし、私がやりたいことではない」「シャトルのように早いスピードで流れていくだけで、『残るもの』『継承される伝統』は何もないではないか」と考えていたと言います。やがてヂェン先生は「真の理想的な服作り」を目指し、まずは2つのラインから「理想的な服づくり」を模索していきます。
「一つは台湾原住民(現地呼称ママ)。台湾には複数の原住民族が存在しますが、彼らは手織りによる民族服を作り、それらがとても美しく、アイデンティティとされていました。そこで原住民族を訪ね、服作りの勉強をしましたが、突き詰めていくと、1点1点とても丁寧に気持ちを込めて作り上げるため『理想的な生産』は難しいことを知りました。
そして、もう1つは芸術としての服作り。しかし、これも1点ずつ素晴らしい服を作れたとしても、やはり『理想的な生産』にはなりません。
ただし、この2つの文化や素晴らしいストーリーだけはどうしても継承させたい。そこを転生させるために、自分自身ができることを融合させながら、新しい道を探れないかとさらに模索していきました」(ヂェン先生)
■性別・職業・年齢・サイズ・外見全てから開放される「日常着」
サステナビリティが浸透した今でこそ消費社会に疑問を感じ、同じような考えを持つ若者は少なくないかもしれませんが、今から50年近く前にこのようなことを考えたヂェン先生。当時の服飾業界をイメージするに、何年も早く社会意識を持っていたようにと感じます。
「売り上げばかりを追求するのではなく、個人個人、大きな未来像を求めるにあたり、何を願い行動していくべきか。そんなことを模索し、行き着いたのが仏教でした。
禅士さんに出会い、自分自身の思考の仕方から、人の生活で本当に大切なことは何か……こういった悟りを大切に、服飾にも活かすことにしました」(ヂェン先生)
ヂェン先生の思考の最後にたどり着いた服飾は、誰もが日常的に身につけることができる「日常着」。特定の富裕層しか手に入れられない「ファッション」ではなく、誰もが日常着を通して生きる思考を共有できるようなものでした。もちろん、それには性別も関係ないとヂェン先生は言います。
「仏教では、性別・職業・年齢は関係ありません。こういった棲み分けにこだわりすぎると、本来の姿が見えなくなるものです。また、何か活動をするシーンも限定しない。仕事をするとき・寝るとき・休むとき……どんなときでも着られるし、なんの妨害もない服飾として、『布服』を作り始めました。そして、服に人間が縛られず、生活の苦しさ、時間、サイズ、外見といったことから開放され、もっと自分自身に気持ちを向ける服飾に、と反映しています」(ヂェン先生)
そして、台湾で立ち上がったヂェン先生のブランドは「惠中布衣(台:ホェチョンブーイ)」。以来、単に衣服という「モノ」としての素晴らしさだけでなく、ヂェン先生の思考にも共感した台湾の茶人、書家、舞踏家といった文化人に愛され、後に日本にも飛び火し、支持を得るようになりました。
「ヂェン先生の日常着」という、およそファッションブランドにない日本における呼称は、ヂェン先生の思いに共感した作家で『暮らしの手帖』元編集長の松浦弥太郎さんが最初に名付けたのだそうです。
「この呼称は、私の理念とすごく合うなと思いました。私が作る服は、くつろぎ、自由な、そして欲張らない、平和な『日常着』です」(ヂェン先生)
■綿と麻の混紡素材を使って、アトリエの徒歩圏内で全て完成させる
ところで「ヂェン先生の日常着」の多くは、綿と麻の混紡素材によって作られています。実はこの素材にも、前述のような思いが隠されています。特に夏場は麻100%の服はオシャレで清涼感があって重宝されますが、着心地・手入れといった面では少しハードルが高い素材でもあります。そうなると、ヂェン先生が考える「くつろぎ、自由な服」にはなりません。こういったことから綿と麻を混紡させることで自由な「日常着」に昇華させているのだと言います。
「綿と麻は100年以上前から私たちの生活の中に伝統的に使われてきた素材ですが、化学繊維が発明されて以降は、少しずつ衰退していきました。しかし、この綿と麻を混紡させた素材にこそ、私の作る服の重要なポイントがあり、言わば私にとっては『伝統素材を継承する』といった意味も込めているのです」(ヂェン先生)
また、その制作工程もシンプル。今回お邪魔したアトリエ近くの工場で布を織り、さらに徒歩圏内のエリアで暮らす女性たちが手作りしているのだそうです。さらに、でき上がった服はその女性たちが一度納品し、最後に染め場で攻めて出来上がるというもの。
台湾の町中では、例えば、帆布専門の店頭で、店主が手作りで帆布バッグを製造し、出来上がったバッグを、そのすぐ脇で販売する……という光景をよく目にします。流通をできるだけ介さず、さらに作り手・使い手が身近に接することができるわけですが、まさにこのスタイルを「ヂェン先生の日常着」も採用しているというわけです。
■台湾から直接オンラインで購入できる「ヂェン先生の日常着」
ここまでに紹介したような思考・製法によって生まれる「ヂェン先生の日常着」は、レギュラーアイテムだけでも複数の服飾があります。たとえば台湾の公式オンラインサイト「時喜人文」より購入する場合、以下のようなアイテムがあります。
【正方形シルエットTシャツ(M)】NT$1500(日本円で約7500円ほど)
筆者イチオシの日常着。その名の通り、正方形シルエットのTシャツ。Mサイズでもゆったりしていて、男性ならLサイズくらいまでの人がゆったり着こなせるはず。もちろん着心地も抜群。七分丈ほどの袖が、実に柔らかい印象を与えてくれ、春・夏・秋はTシャツの上にこれ1枚で随分とオシャレに。
【マント厚手(ON SIZE)】NT$4000(日本円で約2万円ほど)
パーカーのようなマント。冬場、厚手のセーターに軽く羽織るのに良いでしょう。ワンサイズですが、こちらもゆったりしていて、S~Lサイズまでの人が自由に着こなせることでしょう。
【開襟シャツ長袖薄地(M)】NT$2000(日本円で約1万円ほど)
「ヂェン先生の日常着」の定番アイテム。前ボタン式のシャツでカラーバリエーションも豊富。こちらもM サイズにして男性のS〜Lサイズまでの人が着られるはず。特に綿と麻の混紡を感じる自由な日常着です
【冬バージョンの長袖ワークシャツ(M)】NT$2000(日本円で約1万円ほど)
袖口の広いゆったりとしたワークシャツ。厚手なので、冬場の室内着にぴったです。こちらもM サイズにして男性のS〜Lサイズまでの人が着られるはず。
【リラックスパンツ厚手(M)】NT$1500(日本円で約7500円ほど)
ウエストゴムの入ったゆったりパンツ。イン・アウトを問わず着回せるオシャレな逸品。ガンガン履きまくることで「ヂェン先生の日常着」の真髄を感じられるかも?
これらは台湾の公式オンラインサイト「時喜人文」より購入した場合の価格で、別途送料が数千円分かかります。また、日本国内の取り扱い店でも同様のアイテムを購入することができますが、台湾からの購入よりも若干価格が割高になります。
ただし、日本からの別注品なども多くあり、また商品個々の問い合わせにも丁寧に応じてくれる取り扱い店が多いので、どちらが良いかは購入者次第といったところでしょう。
■「これからは服飾そのものだけでなく多くの人と接していきたい」
ヂェン先生によれば、今はまだまだ志半ばであり、これからも日進月歩で進歩していくと言います。
ここまでの前半生を振り返ると、台南で生まれ、服飾工場で模索し勉強していたのが第1の時代。そして、「ヂェン先生の日常着」そのものに思考を反映したのが第2の時代。これから先の後半はヂェン先生にとって、服を「媒体」として考えてさまざまな取り組みを行なっていくこれからの第3の時代。さらに、ここまでの3つのステップから、最終的には人々に癒しを与える第4の時代。……この4つこそがヂェン先生にとっての「これまでとこれから」だと言います。
「私が影響を強く受けた仏教では『無常』という『自分を忘れる』とか『命はいつでもなくなる』思考があります。当然奥が深い思考ですが、さらにこれからはキリスト教の思考に展開していきたいです。キリスト教でとても影響を受けたことは『自分だけが良ければいい』ということではなく、『自分と君の両方が良いことがいい』あるいは『みんな全員が良いことがいい』という思考です。
仏教は『無しの考え方』ですが、キリスト教は『有りの考え方』です。つまり、無しから有りへと思考を転換しながら、これから服飾そのものだけでなく、多くの人と接し、さまざまな活動をしていきたいと思っています」(ヂェン先生)
日本では特に感度の高い女性から絶大な支持を得ている「ヂェン先生の日常着」ですが、「実は男性にこそ似合うのではないか」という筆者の考えについて、最後に意見を聞きました。
「先ほど言った通り、性別・職業・年齢をできるだけ限定しないように作っていますが、実は台湾では男性のほうが私の服を着ています。お坊さんの服を原型にしたものもあり、またお坊さんの中にも私の服を着ている方もいらっしゃいますよ」(ヂェン先生)
ヂェン先生にお聞きした話は、これまでは公式に語られる機会が極めて限られていたそうです。こういったことからも、その存在が一人歩きし、日本では特に結果的に「『ヂェン先生の日常着』は女性向けブランドだ」と誤解されていたところもあったようにも思います。
しかし、「ヂェン先生の日常着」は着る人を限定するものではなく、もちろん男性にも気軽に身につけられるもの。「くつろげて、自由で、そして欲張らない、平和な日常着」……それが「ヂェン先生の日常着」です。
<取材・文/松田義人(deco)>
松田義人|編集プロダクション・deco代表。趣味は旅行、酒、料理(調理・食べる)、キャンプ、温泉、クルマ・バイクなど。クルマ・バイクはちょっと足りないような小型のものが好き。台湾に詳しく『台北以外の台湾ガイド』(亜紀書房)、『パワースポット・オブ・台湾』(玄光社)をはじめ著書多数
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- Original:https://www.goodspress.jp/columns/697205/
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- Author:&GP