イタリア・ピアジオ社が1946年に誕生させたスクーター、ベスパ。映画『ローマの休日』やテレビドラマ『探偵物語』など、印象的なシーンでたびたび登場したこともあり、日本でも根強い支持を得続けています。
1996年以降ベスパ は4ストロークエンジン+オートマティック仕様に移り変わって行きましたが、それでもなお旧式の「鉄スクーターモデル」の人気は衰えず、レア度の高いモデルは、四輪外車の新車価格と同じか、それ以上のプレミアム価格で販売されることもあります。
人気ある旧車の個体数が減れば、希少性から価格がどんどん上がるのは当然ですが、関東圏某所にこういった超レアなベスパばかりを個人で130台以上も所有する人がいました。10代の頃からベスパにこだわり乗り継いできたという関根慎太郎さん(50歳)です。
そのガレージにお邪魔して驚愕。写真でしか見たことがなかったレアモデルがズラリ並んでいるではありませんか!
▲関根さんのガレージにお邪魔し、その奥へ進んで電気をつけてもらうと…
■これだけの数のベスパを13〜14年で収集
とんでもないお宝揃いです。前述の「旧式ベスパの高騰ぶり」を考えれば、気が遠くなるような金額に換算できますが、関根さんはどのようにして、これらの個体を集めたのでしょうか。本人に聞きました。
「中学時代は『バイクは危ない』と思って四輪ばかりに目が行っていたのですが、高校生の頃に街中で見かけたデコレーションしたベスパを見かけ衝撃を受け、それから乗り始めました。
以降、ベスパに関するグッズなどを集めたりしているうちに仲間が増え、譲ってもらったり買ったりして、しばらくの間は常に10数台くらいを持っていました。
そんなことをしている間、20年前くらいに交通事故に遭い大きな怪我をしたのですが、その後、ある程度まとまったお金が入ったり、色んな方々からのご協力などもありこの13〜14年でこれだけの数になりました」(関根さん)
■「日本のベスパの歴史」を世界に伝えたい
関根さんは、何も投資や転売目的で、130台以上ものベスパを集めたわけではないそうです。あるいはマニアックなモデルを集めて悦に浸る、みたいなことでもないとも言います。これだけの数を集めた理由には、日本におけるベスパシーンや、ベスパを取り巻く文化に対する真摯な思いが隠されていました。
「ベスパは世界中で愛され続けているスクーターで、海外にはベスパクラブが多く存在します。僕も、知り合った仲間たちと『日本のベスパクラブ』を作りましたが、海外の状況とは全然レベルが違うものでした。
海外のベスパクラブの人たちとやりとりすると、『私たちの国のベスパには、こんな歴史があります』『ベスパを通して、こんな活動をしています』といった声をよく聞くのですが、そのたびに『日本のベスパシーンからは何も返すことができないな』と悲しく思い、同時に焦りました。
“焦り”というのは、時間が経てば経つほど、“物”は消えていってしまう運命にあるからです。
そんな思いから過去にベスパの活動していた方だったり、僕と同じようにベスパが好きな仲間だったりから、少しずつ『日本のベスパの歴史』における重要な車両や資料などを譲ってもらっていたのですが、可能な限りの資金と時間を使い、さらに重要な車両を集めることにしました。
言うまでもなく、投資や転売目的ではなくて、あくまでも当初からの夢である『日本のベスパシーンや歴史を、世界に紹介するためのもの』です。具体的には、日本におけるベスパの歴史を総括する本をいつか出したいのですが、そこで紹介するための重要な車両を保管しているという感じです」(関根さん)
■最も思い入れのある所蔵ベスパ5選
ここで、「関根さんにとっての思い入れあるモデル」あるいは「日本におけるベスパの歴史」において、特に重要な所蔵モデルを紹介してもらいました。
◆関根さんが高校生の頃に初めて購入したベスパ50S
50ccのいわゆるスモールボディモデル。関根さんが高校生だった90年代前後の新車価格は34万円ほど。このバックミラー、ライトなどのデコレーションは、1960年代のイギリスの若者の間で広まったモッズカルチャーのスタイルを踏襲したもの。
「この車両から始まり、今の私があります」(関根さん)
◆日本に渡来した初期のベスパ(フランスA.C.M.A.社製のベスパ)
関根さんによれば「日本におけるベスパの始まりは、進駐軍が持ち込んだベスパを日本人が譲り受け、乗り始めたことが始まりと言われています」とのことですが、そんな同時代の日本に持ち込まれた車両もガレージに大切に保管されていました。
◆日本で初めて新車輸入販売された頃のベスパ150GS(vs5)
1958年頃にイタリアから初めて日本に新車のベスパを輸入販売した芙蓉貿易という会社が実際に販売したモデル、150GS(vs5)。こんなヒストリックなレアモデルもかなり綺麗な状態で保管されていました。
「当時のオリジナルコンディションを維持した車両です」(関根さん)
◆ベスパでの世界一周を目指したツアラーが、計画を変更し日本に置いていったベスパ160GTサイドカー(スペイン製モトベスパ)
ベスパで世界一周を目指したとあるツアラーが、日本に立ち寄った際、当初の予定から計画を変更。その際に日本において言った160GTサイドカー(スペイン製モトベスパ)も所蔵しています。
「ツアラーは、『このままでは旅を続けるのが大変だ』として、ヤマハのバイクRD400に日本で乗り換え、ベスパにつけていたサイドカーを移設し、そのまま旅を続けて無事に世界一周を達成した車両です」(関根さん)
◆ベスパの輸入元だった成川商会・社長が所有していたベスパV31
ベスパの輸入元だった成川商会の社長が所有していたモデル・V31。映画『ローマの休日』に登場するものと同じモデルです。
「成川商会はモーターショーに展示するために、社長自ら会社で塗装を行い仕上げた1台です。この車両は社長のために、ピアジオがイタリアから車両を送ってくれたというたまらないストーリーもあります」(関根さん)
■「ベスパに乗る方とたくさんの楽しい思い出を共有したい」
とかくマニアックな世界になると「どれだけレアなモデルを所有しているか」「どれだけ他人が知らない知識があるか」ばかりが競われがちで、門外漢からすれば、ある種の閉鎖的な印象を感じることもあります。
しかし、関根さんにはそういった印象はまったくなく、むしろ開放的で「日本のベスパをもっと広めたい、盛り上げたい」という思いのほうを、強く感じました。
その上で「まだ旧式ベスパに乗ったことがない」「旧式ベスパに興味があるけれど、大変そうだ」といった初心者に対しても優しいアドバイスをくれました。
「ベスパは他にない魅力ある乗りものですが、だからこそ『合う・合わない』はあるかもしれません。しかし、情熱があれば苦労を苦労と感じなかったり、その苦労自体も楽しめる物ですよ。
もし『まだ乗ったことがないけど、ベスパに興味がある』という方がいたら、まずは『どんな乗りものか』『どんな歴史があるのか』『世界中でベスパが愛され続けている理由は何故なのか』などをネットなどで調べてみると良いと思います。
また、これは個人的な話ですが、ベスパに乗り続ける上で『仲間』との出会いは大切だと思います。僕も仲間に本当に救われてきましたので、長く乗りたいと思うのであれば、積極的に他のベスパファンと交流を持つと良いと思います」(関根さん)
最後に関根さんは、「非力ではありますが」と前置きしながらも、こんなふうに結んでくれました。
「日本におけるベスパの歴史を、納得できるカタチでまとめて出し、世界中の人たちに伝え、後世にも伝え残せるのが一番の夢です。そして、これからも日本におけるベスパの世界を楽しく盛り上げるような活動をしていきたいです。ベスパと出会った人、ベスパに乗る方々とたくさんの楽しい思い出を共有していければ良いなと思っています」(関根さん)
世界中の多くの人々を魅了し、今日まで愛され続ける乗りものはそう多くないですが、それもこれもベスパの独特の個性と愛らしさによるものでしょう。いつか関根さんの夢がカタチになり、日本発のベスパシーンが世界に伝わり、世界中のベスパファンの活動と思いが一つになる日が来ると良いなと思いました。
<取材・文/松田義人(deco)>
松田義人|編集プロダクション・deco代表。趣味は旅行、酒、料理(調理・食べる)、キャンプ、温泉、クルマ・バイクなど。クルマ・バイクはちょっと足りないような小型のものが好き。台湾に詳しく『台北以外の台湾ガイド』(亜紀書房)、『パワースポット・オブ・台湾』(玄光社)をはじめ著書多数
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