土屋圭市氏、クルマに興味のある方ならば一度はその名を耳にしたことがあるだろう。そしてクルマ好きならドリキン、といった方が通りが良いかもしれない。
氏は1980年代前半に、当時の日本のモータースポーツの登竜門であったフレッシュマンレースからキャリアをスタート。もともとは後のチームメイトともなるレーシングドライバーの故・高橋国光氏がレース中に見せるハコスカのドリフト走行に憧れて運転のスキルを磨いたとあって、フレッシュマンレースで華麗なドリフト走行を見せ、また圧倒的に速かったこともあり、すぐに頭角を現す。その後は着実にステップアップを重ねて、ル・マン24時間、全日本ツーリングカー選手権、JGTC他で数々の勝利に貢献し2003年に現役を引退している。
土屋氏はレーシングドライバーとして精力的な活動を続ける一方で、元来の明るい性格やトークの上手さもあって、自動車情報メディア(雑誌やビデオマガジン)にも度々登場し人気を博す。
一方で、得意の運転テクニックを活かして、本来はスピード保ったまま高速でコーナーを脱出するためのドリフト走行を、見せるためのパフォーマンスとして独立させることにも尽力する。
■生粋のカーガイ、ドリキンのこだわりが溢れる究極のAE86
すでに1980年代から峠などで走り屋たちが夜な夜な繰広げるドリフト走行は全国各地で流行の兆しを見せており、スポットによってはギャラリーと呼ばれる見学客まで訪れるほど。しかしながら、クルマの性能もアップして走りが白熱すれば白熱するほど、一歩間違えれば一般車を事故に巻き込みかねない状況にまでなっており、社会問題化。その頃から峠道の多くにキャッツアイと呼ばれる、センターラインを越えて走行できないように道路鋲が打ち込まれるようになった。
そんな状況を憂いだ土屋氏は、ドリフトをアウトローな走り屋文化から、モータースポーツとしてJAF公認競技化を目指すべく全日本ドリフト選手権(D1グランプリ)を立ち上げるに至った。D1はサーキットなどのクローズコースを舞台として走る車両&ドライバーの走りを土屋氏をはじめとする審査員たちが評価するスタイルで当初の目的通り競技化することに成功。現在はアメリカやアジア各国にも人気が波及して同様のスタイルでドリフト競技が行われている。
また土屋氏はプライベートでも愛車をいじって楽しむ生粋のカーガイとしても知られ、様々な名車を所有してきたことで知られるが、その中にあってもフレッシュマンレース時代の相棒であったAE86型のスプリンター・トレノやカローラ・レビンには思い入れがあるようで、ここに紹介するメイクアップがモデル化の題材に選んだ1986年型トレノは25年以上所有し、その間にコツコツと手を入れてきた秘蔵っ子として知られる。
エンジンはテックアートがチューニングした7A-Gと呼ばれる1.8リッターを搭載し、MOTECでマネージメント。ボディはフルスポット増され、ルーフとリアハッチもカーボン製部品に変更。足回りも、サスペンションやブレーキなど大きく手が入れられているものの、外観で目立つ部品は氏のアイデンティティ・カラーであるグリーンの色調が目を惹くカーボンボンネット程度と控え目なところがかえって凄みを感じさせることから、AE86型好きの間では憧れの1台となっている。
モデルは土屋氏の愛車を3Dスキャンして原型を製作しているため、まさに実車そのもの。カーボン柄のボンネットもデカールとその上にクリアコーティングを行って実車さながらの雰囲気に仕上げている。
>> メイクアップ
<取材・文/モデル・カーズ編集部、写真提供/メイクアップ>
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