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実はあの日本車も!プロダクトデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた日本車10選(+バイクも)

1974年発売のフォルクスワーゲン・ゴルフの初代のデザインを行い、倒産寸前だった同社を建て直し累計販売数3700万台以上ものロングセラーに導いたプロダクトデザインの巨匠・ジョルジェット・ジウジアーロ(1938年〜)。

そのデザイン分野は幅広く過去に腕時計、カセットテープ、一眼レフカメラ、スキーブーツ、デスクチェアといった数多くの工業製品のデザインを行なってきました。

▲プロダクトデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ。2025年の来日時の様子(画像:トイファクトリー)

▲ジウジアーロによるデザインの中で最もヒットしたクルマ、(画像:フォルクスワーゲングループジャパン)

▲ジウジアーロが「自身の最高傑作」とする名車・初代フィアットパンダ(画像:FIAT)

ただし、ジウジアーロの真骨頂と言えばやはりクルマ。世界中の名車のプロダクトデザインを手掛けてきたことに加え、1980年発売の名車、フィアット・パンダに代表されるように、見た目の美しさに加え、ときに生産上の合理性を考え、乗り物による新しいライフスタイルの提案までをも行う実例も多く、世界中で神格化されるプロダクトデザイナーです。

▲2025年の来日時は、自身が手がけたモーターホーム・LAIKA(イタリア)のブースに登場しサイン攻めに(画像:トイファクトリー)

■ジウジアーロが手がけた10台の日本車+1

もちろん日本車でも、ジウジアーロがデザインを手がけたクルマが複数あります。これらのうち、特に興味深い10モデルをピックアップして紹介します。

■1台ごと手作りでの生産だった「走る芸術品」──いすゞ・117クーペ(1968年)

▲いすゞ・117クーペ(1968年)(画像:いすゞ自動車)

 

「ジウジアーロデザインの日本車」と聞き、多くの人が思い浮かべるのがいすゞ・117クーペでしょう。

当時のいすゞは、若き日のジウジアーロが勤務していたイタリアのデザインスタジオにデザインを依頼。ジウジアーロがチーフデザインを行いました。やがてジウジアーロは、自身のデザイン会社・イタルデザインを立ち上げましたが、117クーペの量産モデルのデザインも継続して行うこととなります。

ただし、ジウジアーロが望んだ量産モデルは、当時のいすゞの製造技術にないもので新たに設備投資しなければ実現できないものでした。そんな中で、いすゞが決断したのが「生産工程の大半を手作業で行う」というものでした。

まさかの「手作りでの量産化」となり月産台数30台ほどでしたが、結果的には、美しく流れるようなデザインを実現させ後に「走る芸術品」とまで言わしめる名車になりました。

■1970年の「大阪万博」でパトロールしたオシャレな商用車──スズキ・キャリイバン(4代目)(1969年)

▲スズキ・キャリイバン(4代目)(1969年)(画像:スズキ)

今日まで続くスズキを代表する商用車、キャリイ。1964年からキャリイシリーズに加わったバンタイプのモデルは、1990年代にエブリイへと引き継がれていきますが、歴代のキャリイバンの中でジウジアーロがデザインを手がけたのが1969年発売の4代目でした。

それまでになかった5ドア仕様のモデルで、ジウジアーロらしい直線が生かされたデザインでありながらも、室内のしつらえ・装備も充実。1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」では、この4代目キャリイバンが会場内をパトロールするなどして活躍しました。

■無骨だった三菱車を「オシャレな三菱車」へとジウジアーロが創案──三菱・コルトギャラン(1969年)

▲三菱・コルトギャラン(1969年)(画像:三菱自動車)

元々は造船メーカーだったことと、複雑な分社と再合併などがあったことから、1960年代当時、日本の自動車メーカーの中やや遅れをとっていた感があった三菱自動車。機構は頑丈で素晴らしい一方、特にデザイン面では無骨なものが多く、そこで起用されたのがやはりジウジアーロでした。

1969年、当時の三菱の看板モデル、コルト1200/1500シリーズの後継モデルとして発売されたコルトギャランは、ジウジアーロが創案したアイデアをベースに、三菱社内で仕上げられたオシャレな1台でした。車体が長く広々として見え、なおかつ低く見える「ダイナウェッジライン」と呼ばれた当時の流行を取り入れたもので、

それまでの三菱車のイメージをガラッと変えたモデルでした。

完全なるジウジアーロデザインとは言えぬものの、ジウジアーロが挑戦し続ける先進的なデザインと、昔ながらの質実剛健を貫いた三菱とが歩み寄り完成したモデルと言って良いでしょう。

■軽自動車初の2シータークーペ──スズキ・フロンテクーペ(1971年)

▲スズキ・フロンテクーペ(1971年)(画像:スズキ)

 

1960年代の軽自動車市場をリードしたスズキ・フロンテシリーズ。しかし、1960年代後半になると、ホンダ・N360の快進撃が始まり、フロンテはやや目立たない存在になりつつありました。そんな中で起死回生を図るべく1971年に発売されたのが、スズキ・フロンテクーペでした。

ジウジアーロにデザインを依頼し、短い全長ながらもノーズを低くさせることでシャープな外観を実現させ、それまで主流だった三角窓も排除。軽自動車初の2シーターモデルであることに加え、性能面はスポーティに。結果的にオシャレかつスペシャルな「新しいスタイルの軽自動車」として、N360にも負けずとも劣らぬ注目を浴びた1台でした。

■ジウジアーロの意向が存分に反映されて量産化──いすゞ・ピアッツァ(1981年)

▲いすゞ・ピアッツァ(1981年)(画像:いすゞ自動車)

 

モータリゼーションが高まった1970年代を経て、1980年代に入ると、自動車メーカー各社がこぞって世界を目指し、「高性能化」「ライトユーザーへの呼応」双方を目指したきらいがあります。

そんな中で1981年に登場したいすゞ・ピアッツァは「空力」を意識したモデルで、圧倒的な空気抵抗係数を誇りながらも先進的でオシャレな1台でした。

通常、プロトタイプが考案された後、量産化に向けて、機構とすりあわせたりコスト削減のためにリデザインされて市場に放たれるクルマが一般的ですが、ピアッツァはジウジアーロのデザインをほとんどいじることなく発売となりました。

それまでの日本車では考えられないシャープで洗練されたデザインは、キャッチコピーの「シニア感覚」の通りの大人向けでしたが、同時期に発売されたトヨタ・ソアラの高性能を前にセールス面では惨敗する結果に。ただし、デザイン面での評価は高く、1987年には通商産業省(現在の経済産業省)のグッドデザイン賞の大賞(輸送機器部門)を受賞しました。

■ジウジアーロが日産に売り込みにやってきて完成した?──日産・マーチ(1982年)

▲日産・マーチ(1982年)(画像:日産自動車)

1970年代後半、ジウジアーロが日産にデザインの売り込みに訪れ、これを受けた日産は当時ヨーロッパで人気だったコンパクトカーのデザインを依頼しました。ただし、当初の日産の目的は量産車として完成させることではなく、あくまでも「ヨーロッパのコンパクトカーとは何か」を知見あるジウジアーロから学ぶ、という目的でした。

しかし、そこでジウジアーロが提出した創案は、デザインの美しさだけに留まらず、レイアウト設計まで細やかで完璧。日産車内で「これは素晴らしい」という意見があがり、結果的に1982年にマーチとして市販化されることになりました。

世界基準を満たした安全性を持ち、オシャレで使い勝手の良いマーチが誕生しヒットしたことで、日産のコンパクトカーのカテゴリーが切り開かれました。

■「これは私の作品ではない!」とスッタモンダの末に完成した──いすゞ・ジェミニ(2代目)(1989年)

▲いすゞ・ジェミニ(2代目)(1989年)(画像:いすゞ自動車)

1960年代まで、いすゞの看板モデルだったベレットは基本設計を変えずに10年以上生産され続けましたが、モータリゼーション高まる1970年代になると、他社から続々と新性能のモデルが登場。

いすゞでも「このままではいかん」と、1974年にベレットネームを生かしながらも、オペル・カデットをベースにしたベレットジェミニというモデルへと進化させました。

複数回のマイナーチェンジを重ねながら、一時はディーゼル車の国内販売台数トップになるなどメガヒットとなり、1985年には完全自社設計にフルモデルチェンジ。デザインも懇意のジウジアーロにデザインを依頼しました。

しかし、当初ジウジアーロが創案したデザインは、量産化にあたって、いすゞ社内でリデザインへ。これにジウジアーロが納得せず、結果的に発売時には、ジウジアーロの名を伏せての発売となりました。

■スズキ・ワゴンRに負けないクルマをジウジアーロがデザイン──ダイハツ・ムーヴ(2代目)(1998年)

▲ダイハツ ムーヴ(2代目)(1998年)(画像:ダイハツ)

「軽トールワゴン」というカテゴリーを切り開き、軽自動車市場を席巻していたスズキ・ワゴンRに対し、ライバルメーカーのダイハツも指を咥えて見ているわけにはいかず、ワゴンRの2年遅れの1995年に初代ムーヴを発売。ワゴンRよりも後発モデルにあたるためか、デザインはイタリアのデザイン会社にオーダー。それでいて細部の使いやすさにもこだわる1台で相応のヒットとなりますが、ワゴンRほどの支持を得るには至らず、3年後の1998年にフルモデルチェンジ。

今度はジウジアーロにデザインを依頼し、やや細目のヘッドライトの洗練されたデザインに変身。合わせてダイハツによるカスタムバリエーションなども豊富に用意し、あらゆるニーズに応えた1台でした。

■中古車市場で「最も安く買えるジウジアーロモデル」──ダイハツ・ハイゼットカーゴ(9代目)(前期モデル)(1999年)

▲ダイハツ・ハイゼットカーゴ(9代目前期モデル)(1999年)(画像:ダイハツ)

ダイハツ初の軽自動車であり、66年以上のロングセラーになった軽トラックのハイゼットシリーズ。

その9代目にあたるモデルが1999年にフルモデルチェンジ。バンタイプを「カーゴ」と呼びかえ、セミキャブスタイルへと変更し、乗りやすく仕上げた商用車が同年のハイゼット・カーゴでした。

ジウジアーロはエクステリアデザインを担当し、落ち着いたヨーロピアンテイストを感じさせるフロント周り、さらにそこからリアにかけてのラインはジウジアーロ的であり、商用車でありながらも実にオシャレな1台でした。

現在の中古車市場では安いものでは10万円台から購入可能で、「最も安く買えるジウジアーロモデル」と言って良いと思います。

■不遇に終わった完成度の高いグランドツアラー──スバル・アルシオーネSVX(1991年)

▲スバル・アルシオーネSVX(1991年)(画像:スバル)

1980年前半、スバルはアメリカ市場を強く意識してクルマ作りを進めていましたが、その象徴的なモデルが1985年発売のスバル・アルシオーネ。前述のいすゞ・ピアッツァ同様、空気抵抗を最小限にするための低いノーズが特徴のスペシャリティクーペでハリウッド映画に登場するなど、当時のスバルの思惑通り、確かにアメリカではおおいに注目を浴びました。

ただし、発売から間もなくしてプラザ合意による急激な円高などもありセールス面では低迷。紆余曲折ありながら1991年に生産終了に。同年、スバル・アルシオーネSVXという新モデルへと生まれ変わりました。

このモデルのエクステリアデザインを担当したジウジアーロは、前身のアルシオーネの構造を継承しながらも、滑らかなラインを随所に取り入れ上品なデザインへとはるかに進化させました。

しかし、バブル崩壊や、高級車市場ではまだスバルの周知が薄かったことから、またもセールス面では苦戦。わずか5年で生産終了に至りました。

■【おまけ】ジウジアーロが作った革命バイク──スズキ・RE-5(1974年)

▲スズキ・RE-5(1974年)

ジウジアーロがデザインしたクルマを10モデル紹介しましたが、1970年代、ジウジアーロは日本製バイクのデザインも行っていました。

それが1974年に登場した実験的モデル、スズキ・RE-5です。当時「未来のエンジン」として注目されていたロータリーエンジンをいち早く取り入れたモデルで、一見ネイキッドバイクに見えながらも細部はかなり斬新な1台でした。

ヘッドライトの上には茶筒状のものが乗せられていて、メインキーをオンにするとボックスがパカっとオープン。中から速度計、回転計、水温計、発光ダイオードなどを採用したインジケーターなどを見られる仕組みでした。

▲ヘッドライトの上にある茶筒状の物の中は…

▲メーターなどの計器類が!

まるで参考出品のバイクのようにも感じますが、市販化され6000台の実売に。今になってみれば、多いような少ないような実売数ですが、結果的には生産終了になりました。

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ここまでの通り、ジウジアーロは日本製のクルマのデザインも多く手がけてきたわけですが、大ヒットに至った日産・マーチのような例もあれば、デザイン面で高い評価を受けながらもセールスには至らなかったものまで様々です。

ただし、いずれのモデルもウジアーロらしい個性が光る繊細な意匠ばかり。ひいては日本車全体の「デザインの底上げ」にも寄与したと感じるのは筆者だけでしょうか。

<取材・文/松田義人(deco)>

松田義人|編集プロダクション・deco代表。趣味は旅行、酒、料理(調理・食べる)、キャンプ、温泉、クルマ・バイクなど。クルマ・バイクはちょっと足りないような小型のものが好き。台湾に詳しく『台北以外の台湾ガイド』(亜紀書房)、『パワースポット・オブ・台湾』(玄光社)をはじめ著書多数

 

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