オートモビルカウンシル2025で見つけた1980〜90年代を彩った名車たち

50代の&GP読者が運転免許を取得した1980~90年代。バブル景気にわき、自動車メーカーが潤沢な開発費をかけて世に送り出したモデルたちに憧れ、「いつか乗りたい!」と思っていた人も多いはずです。

2025年4月11〜13日に千葉県・幕張メッセで開催された「オートモビルカウンシル2025」では、自動車メーカーが懐かしいクルマを多数展示していました。また、ヘリテージカー販売店のブースでも、20代の頃に憧れたクルマを見つけることができました。

ここでは、「オートモビルカウンシル2025」で展示されていた、今でも魅力が色褪せない80〜90年代の人気モデルを紹介します。

 

■ホンダ プレリュード(3代目/1987〜1991年)|最新技術を盛り込んだ若者憧れのデートカー

1982年に登場した2代目プレリュードは、リトラクタブルヘッドライトを採用した女性から見てもカッコいいスタイルから、“デートカー”という言葉を生み出しました。助手席をリクライニングさせるためのレバーが運転席側にもついていたので、当時の若者たちはさまざまな妄想をしたはずです。

ともするとプレリュードにはミーハーなイメージを持つ人もいますが、2代目プレリュードは日本初となる4輪ABSやフロントダブルウィッシュボーンサスペンション、空力に優れたスタイリングなど、走りの面でも目を見張るものがありました。

1987年に登場した3代目プレリュードは、2代目のイメージを受け継ぎながら、より流麗で美しいスタイルに進化。ボンネットは「いったいどこにエンジンが収まっているの?」と思うほど低くなっています(2代目より30mm低下)。

コンピューター制御によりドライバーの好みでノーマルとスポーツ、2種類の変速パターンを選べるフル電子制御2ウェイ4ATに加え、世界初の4WDシステムや4輪ディスクブレーキ、新しい4輪ABSなど、ホンダの高い技術力が惜しみなく投入されました。

もちろんデートカーとしての人気も健在。中でも今回展示されていたプレリュードを親に買ってもらいモテまくっていた大学生に嫉妬した人も多いはずです。

そんなプレリュードはいよいよ2025年に復活します。新しいプレリュードも令和のデートカーになるのか、今から楽しみです。

 

■トヨタ スープラ(初代/1986〜1993年)|直6ターボで多くの人を魅了

セリカの上級モデルとして1978年に登場したセリカXXは、北米ではスープラの名称で販売されました。そして1986年に登場した70系から、日本でもスープラの名称が使われるようになります。

もともと北米市場を意識し開発されたこともあり、セリカXX時代からハイパワーな直6エンジンを搭載。70系はトップグレードに230psを発揮する直6ターボ・7M-GTEUを搭載しました。このエンジンは改良が重ねられ、270psにまでパワーが高められます。

デビュー時のボディはナローでしたが、1987年にワイドボディの3.0GTターボリミテッドが登場。1988年には3L車がすべてワイドボディになります。

1980年代といえば、国産メーカーが馬力競争を繰り広げていた時代。1989年に登場したフェアレディZ(Z32)が280psを達成(厳密には輸出仕様は300psで、国内仕様は280psにデチューンされた)。スープラは1990年に3L直6に変わって搭載された2.5L直6ツインターボが280psを達成しました。

スープラは1993年に登場した80系からリトラクタブルヘッドライトではなくなりましたが、「やっぱりリトラクタブルだよね」という人も多いはず。ボンネットが低い精悍なスタイルは、今見てもスーパーカーのような雰囲気を感じました。

 

■マツダ ユーノス500(初代/1992〜1995年)|宝石のように美しいコンパクトな5ナンバーセダン

1989年からマツダは「マツダ店」「アンフィニ店」「ユーノス店」「オートザム店」「オートラマ店」という5つの販売チャンネルで販売する5チャンネル体制を敷きます。ここからさまざまなモデルを展開することで販路を強化する戦略でしたが、残念ながらこれは失敗に終わりました。

一方でこの時代に登場したマツダ車は「ときめきのデザイン」というコンセプトを掲げ、非常に美しいスタイルが与えられたのが特徴です。1991年に登場したアンフィニRX-7や1992年に登場したユーノス500はその代表と言えるモデルです。

セダンなのに低く構えたボディは、まるで4ドアクーペのよう。エッジを利かせたキャラクターラインではなく面で抑揚を出し、光の当たり方によってさまざまな表情を見せてくれる姿は、かのジョルジェット・ジウジアーロ氏が「小型車でもっとも美しいサルーン」と評したと言われるほど。驚くのはデビューから30年以上経過した現在でも、その美しさが色褪せていないことです。

残念ながら商業的には成功したとは言えず、デビューから4年弱で生産が終了。2代目モデルが登場することはありませんでした。そのため中古車市場でもほとんど見かけることはありません。トラブルがあった際の部品供給も難しく、残念ながら絶滅危惧種になっています。

 

■三菱 ディアマンテ(初代/1990〜1994年)|時代の変化の中で登場したプレミアムセダン

1989年4月に改正された税制は、自動車市場にも多大な影響を与えました。この改正では購入時にかかる物品税が廃止され、新たに消費税が導入されたのです。税制改正前、乗用車は5ナンバーの小型乗用車と3ナンバーの普通乗用車で物品税の税率が異なっており、多くの人が小型車を選んでいました。

しかし物品税が廃止されたことでボディサイズが税額に影響を与えることがなくなります。そんな中、いち早く全車3ナンバーサイズで登場したのがディアマンテでした。

3ナンバーだからこそ実現できたふくよかなフォルムは、ドイツのプレミアムブランドのセダンのような雰囲気でした。室内も3ナンバーサイズらしいゆとりある空間になり、快適なクルージングが楽しめるようになったのです。

搭載エンジンはすべてV6で、2L、2.5L、3Lの3タイプが用意されました。

高嶺の花だった3ナンバー車が一般的なものになっていく。その口火を切ったモデルに憧れた人も多かったはずです。

 

■日産 マーチ(初代/1982〜1992年)|若者に走る楽しさを教えてくれたリッターカー

デートカーやハイソカー、大排気量のスポーツカーなど、当時の若者を虜にするモデルがたくさん登場した80年代。しかし現実的にはそれらは高価で、免許を取得したばかりの20歳前後の若者が気軽に手に入れられるものではありません。

だから軽自動車やコンパクトカーのスポーツグレードなどに乗りながら、将来はラグジュアリーカーやスポーツカーに乗ることを夢見ていました。

1982年に登場した初代マーチも、そんな需要を満たすモデルとして大ヒットしました。デザインを担当したのは、初代フォルクスワーゲン ゴルフや初代 フィアット パンダなど実用性に優れデザインも秀逸なハッチバックを多数世に送り出したジョルジェット・ジウジアーロ氏です。

マーチにはファミリーカー需要を満たすグレードだけでなく、マーチターボやマーチスーパーターボといったスポーツモデル、競技仕様車のマーチRも用意されていました。マーチのCMキャラクターに抜擢された近藤真彦さんは1984年にマーチで富士フレッシュマンレースに参戦し、レースキャリアをスタートさせました。

 

■フォルクスワーゲン ゴルフ カブリオレ(初代/1979〜1992年)|オシャレな女子大生御用達のハッチバック

ジョルジェット・ジウジアーロ氏が生み出したゴルフは、1974年のデビュー以来「ハッチバックのベンチマーク」であり続けています。カブリオレがラインナップに加わったのは1979年。1983年にハッチバックが2代目へとフルモデルチェンジした後も継続生産されていました。

当時はスポーツグレードのGTIに走り好きが乗る一方で、育ちのいい女子大生がゴルフカブリオレや赤いハッチバックのゴルフ、アウディ 80などに乗っていたイメージがあります。

初代カブリオレのモデル末期、限定モデルとしてクラシックラインが登場。これが中古車市場で人気に火がつき、相場がなかなか下がらないモデルの代表となりました。ゴルフ2とは異なるカブリオのシルエットも、適度なユルさがあって可愛いですね。

 

■アルファロメオ スパイダー(初代/1966〜1993年)|ロードスターとは一味違う洒落たオープンモデル

現在、60歳代後半から70歳代の方だと、このクルマを見て映画『卒業』のダスティン・ホフマンを思い出す人も多いはず。27年にわたり生産されたスパイダーは何度か大規模なマイナーチェンジが施されていて、シリーズ1〜シリーズ4と分類されることもあります。

『卒業』で使われたスパイダーはボートテールのシリーズ1。そして今回オートモビルカウンシルで発見したのは、シリーズ4のスパイダー ヴェローチェ ファイナルエディションになります。

1989年にマツダがユーノスロードスターを発売して世界的な大ヒットモデルになると、2シーターのライトウェイトオープンモデルに注目が集まります。

スパイダーにはクルマ好きだけでなく、当時何かと注目を集めていた“ギョーカイ人”も乗っていました(筆者がよく飲んでいた某女性週刊誌の芸能記者もこれで張り込みをしていました)。シリーズ4のスパイダーにはAT仕様も用意されたので、選びやすかったのだと思います。

一時期は100万円台の中古車が数多く出回っていましたが、現在は流通台数が激減し、中古車相場も大きく上昇。取材したクルマには478万円のプライスタグがつけられていました。

>> オートモビルカウンシル

<取材・文/高橋 満(ブリッジマン)

高橋 満|求人誌、中古車雑誌の編集部を経て、1999年からフリーの編集者/ライターとして活動。自動車、音楽、アウトドアなどジャンルを問わず執筆。人物インタビューも得意としている。コンテンツ制作会社「ブリッジマン」の代表として、さまざまな企業のPRも担当。

 

 

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