イタリアのスーパーカーブランドであるランボルギーニが、オーナー向けイベント「ランボルギーニ・デイ・ジャパン2019」を開催した。
これは毎年1回、オーナーへの感謝の気持ちを込めて開催されるもので、近年はイタリア本国より、ランボルギーニCEO(最高経営責任者)のステファノ・ドメニカリ氏がわざわざ訪れるほど、同ブランドでも重要視されているイベントだ。
■ミウラ、ウラッコ、カウンタック…憧れのモデルを多数展示
ランボルギーニ・デイ・ジャパンは、日本のランボルギーニオーナーから高い注目を集めるイベント。初開催となった2015年には約100台、翌2016年には約120台、2017年には約150台と、イベントの規模は拡大傾向にあり、その内容も成長を続けている。
そして、第4回目となった今回の舞台は大阪。平日に開催されたイベントでありながら、会場には200台以上の新旧ランボルギーニが集結。その中心は「アヴェンタドール」や「ウラカン」などの現行モデルだが、「カウンタック」や「ガヤルド」といった歴代モデルの姿も見受けられた。
集ったオーナーたちは、愛車とともに大阪城付近をスタート。御堂筋を駆け抜け、会場となった大阪・赤レンガ倉庫内にあるクラシックカーミュージアム「ジーライオンミュージアム」までのパレード走行を楽しんだ。
そのメイン会場には、ランボルギーニの名を広く知らしめたカウンタックを始め、ランボルギーニの歴史を彩る名車が多数展示され、オーナーたちを出迎えた。そんな、1日限定のヒストリックミュージアムで公開された、ランボルギーニの貴重な名車をご紹介したい。
>>イスレロS
1968年に登場したリトラクタブルヘッドライト採用のFRクーペで、4リッターのV型12気筒DOHCエンジンを搭載。今回、会場に展示されていたのは、ハイパフォーマンス仕様の「S」だ。前身の「400GT2+2」よりボディサイズをひと回り大きくすることで、イスレロは居住性を改善。ボディワークは“マラッティ”という小さなカロッツェリアが担当していた。
>>ミウラP400S
ランボルギーニ初のミッドシップカーである「ミウラ」。会場に展示されていたのは、1968年に登場した改良版「P400S」だ。名車ミウラの起源は、1965年のトリノショーで公開されたミッドシップレイアウトシャーシ「TP400」で、世界で初めてV型12気筒エンジンを搭載するミッドシップカーをランボルギーニが開発中ということで話題を集め、ショー会場のシャーシの回りには、大勢の人たちが群がったという。翌1969年のジュネーブショーには、当時、カロッツェリア・ベルトーネでチームデザイナーを務めていたマルチェロ・ガンディーニ氏が手掛けた、美しいボディをまとったミウラが登場。爆発的な人気を集めた。当初ランボルギーニは、ミウラを販売促進のための広告塔と位置づけ、少量生産の限定車として送り出す予定だったが、人々の熱い声に応える形で量産モデルへと発展していった。
>>ハラマS
1970年に登場した「ハラマ」は、ガンディーニ氏が手掛けたセミリトラクタブルヘッドライトがスタイリングにおける特徴。4リッターのV型12気筒DOHCエンジンを搭載する高性能FRクーペであることや、実用性も犠牲にしないパッケージングなど、前身の「イスレロ」を継承した作りだったが、モノコックボディの採用など、新たなトライも見られた。当時のランボルギーニは、狭いながらも後席を備えたFRモデルの商品化に熱心だったが、この頃を境に、ミッドシップカー中心のスーパーカーメーカーへと舵を切っていく。
>>ウラッコP200
ポルシェ「911」の対抗馬として開発され、1970年のトリノショーで発表されたのが「ウラッコ」。狭いながらも後席を備えたミッドシップカーで、新開発のV8エンジンを横置きに搭載することで、コンパクトなボディを実現した。デビュー当初は、2.5リッターのV8エンジンを搭載する「P250」を設定。後に、パワフルな3リッターV8エンジンを積む「P300」、2リッターのV8エンジンを採用する「P200」が追加された。デザインはミウラなどと同様、ガンディーニ氏の手によるものだ。
>>カウンタックLP400S
1971年のジュネーブショーで、ミウラの後継車として初披露されたのが「カウンタックLP500」。ガンディーニ氏の手による“シザードア”を備えたその未来的なルックスは、人々を驚愕させた。12気筒エンジンを縦置きに搭載しながら、極めてコンパクトなボディサイズを実現したカウンタックだが、その影響でコックピットは極めてタイトな空間となっていた。1974年に登場した市販版「LP400」を皮切りに、1990年まで実に16年に渡って製造されたロングセラーモデルとなった。
>>LM002エボルツィオーネ
ランボルギーニ初のクロスカントリーモデルとなったのが、1986年デビューの「LM002」だ。「チーター」や「LM001」と呼ばれたプロトタイプは、V8エンジンをリアに搭載していたが、市販バージョンのLM002は現実的な選択として、フロントエンジン仕様に変更された。エンジンは、旗艦モデル「カウンタックLP5000クワトロバルボーレ」が搭載する5.2リッターのV型12気筒を、専用チューニングを施して搭載。4WDシステムは、副変速機を備えるパートタイム式で、本格的なオフロード走行を可能としながら、210㎞/hという最高速度を実現した。キャビンには4名分シートを備えるほか、荷台にも簡易シートを用意していた。
>>ディアブロGT
旗艦モデルとしての地位をカウンタックから継承したのが、1990年登場の「ディアブロ」。その力強いスタイルは、お馴染みガンディーニ氏のデザインをベースとするが、空力や安全面を考慮し、当時、親会社であったクライスラーのデザイン部が、手直しを加えたものが最終的に採用された。当初は後輪駆動のみのラインナップだったが、1993年に4WDモデルの「VT」を設定。さらに、オープン仕様の「ロードスター」なども追加された。展示車は、GT2カテゴリーのモデルを公道向けに仕立てた限定車「GT」だ。
>>チェンテナリオ・ロードスター
ランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニ氏の生誕100周年を記念して、2016年のジュネーブショーで発表されたのが「チェンテナリオ」。クーペとロードスターが20台ずつ、世界限定販売された。ベースとなったのは、旗艦モデルの「アヴェンタドール」だが、専用のエクステリアデザインが与えられたほか、モノコックを含む全ボディパーツをカーボンファイバー製とすることで、軽量化も実現した。V型12気筒DOHCエンジンは、770馬力へとパワーアップされている。今回展示された車両は「チェンテナリオ・ロードスター」にカスタムオーダーを加えた特別仕立ての1台だ。
>>ミウラSVR
今回展示された車両の中で特に注目を集めたのが、伝説のマシンとされる「イオタ」の姿を、ランボルギーニ自身が忠実に再現した「ミウラSVR」だ。イオタは当時、ランボルギーニの技術者だったボブ・ウォレスが、ワンオフで仕立てたレーシングマシンだったが、モータースポーツへの参戦意思がなかったフェルッチオ・ランボルギーニ氏は、イオタを常連客に売却。その後イオタは、悲運の事故により消失してしまう。事故の後、イオタの魅力にとりつかれていた熱狂的なランボルギーニオーナーたちは、ランボルギーニにレプリカの制作を依頼。6台の公式レプリカが作られた。その中の1台が、リアのオーバーフェンダーやスポイラーといったイオタの特徴をより色濃く反映した今回の展示車両だ。
■日本で始まったランボルギーニ・デイが今では世界に広まる
貴重な往年の名車に加え、ランボルギーニ・デイ・ジャパン2019の会場には、注目のニューモデルも複数展示。アジアパシフィック地区では初公開となる限定車「アヴェンタドールSVJ63ロードスター」や、伝統芸能の歌舞伎にインスピレーションを得た日本専用の限定車「アヴェンタドールSVJロードスターJP63」、「ウラカンEVOスパイダーJP63」などが世界で初めて披露された。
また、これら限定車をお披露目するために、モチーフとなった歌舞伎とのコラボレーションイベントが実現。歌舞伎役者の片岡愛之助さんが獅子を演じ、観客たちを歓喜させていた。
このように、ランボルギーニ・デイ・ジャパンは、同ブランドにとって年に1度の大きなイベントだ。しかも、CEOであるドメニカリ氏が毎回来日し、参加していることを見ると、ランボルギーニが日本市場をいかに重要視しているかがうかがえる。
先頃発表された2019年のランボルギーニの世界販売台数は、過去最高の8205台。2018年は5750台だったから、一気に2500台ほどを上積みしたことになる。しかも9年連続で前年を上回るなど、セールスはまさに右肩上がりの状態なのだ。
もちろん、日本での販売も絶好調。2019年は641台を販売し、世界で4番目の市場規模を誇る。ランボルギーニの2011年の日本向け登録台数は99台に過ぎなかったというから、その成長ぶりは目覚ましい。
重要なマーケットのユーザーを大切にしたいという、ランボルギーニのサービス精神といってしまえばそれまでだが、CEOのドメニカリ氏自身が長年、自動車ビジネスでスキルを磨いてきた人物だけに、クルマへの思いも強いようだ。毎年、イベント終了後には、「日本のオーナーたちの情熱に触れることができてうれしかった」と、感激している様子。以前には、帰国後に行われたランボルギーニの取締役会で30分もの時間を割き、熱心に日本でのイベントの盛り上がりぶりをレポートしたこともあるというから、ひとりの自動車人として、ランボルギーニ・デイ・ジャパンの盛況ぶりが素直にうれしいのだろう。
そしてランボルギーニは、そうした感動を他の多くの地域でも共有したいと、日本で始まったランボルギーニ・デイを、今では世界各地で開催するようになった。日本のファンの熱意が、ランボルギーニというスーパーカーブランドを突き動かしたのだ。世界、そして日本での成功の秘密は、ランボルギーニの巧みな商品戦略だけでなく、ブランドとオーナーとの相思相愛の関係が支えているといっても過言ではない。
(文/大音安弘 写真/大音安弘、ランボルギーニ・ジャパン)
- Original:https://www.goodspress.jp/reports/275187/
- Source:&GP
- Author:&GP
Amazonベストセラー
Now loading...