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庶民文化研究所 町田忍さんに訊く 銭湯といえば……ケロリンの理由<わけ>

一週間に約280万個も
製造される、超ロングセラー

銭湯を訪れると、そびえ立つ黄色いピラミッド。全国各地、どこでも遭遇する確率は90%以上。アナタもワタシも物心ついたときから、銭湯といえば、この黄色の桶! 浴室に入れば、この桶を手にして洗い場に一目散、そう、無意識のうちに使っているのが「ケロリン桶」なのだ。あまりにも銭湯に馴染んでいるため、ケロリンの正体に気づかずとも仕方がない。だが、内部のロゴ&文字をよく見ると……「頭痛・生理痛・歯痛」「内外薬品」とある。おお、ケロリンはお薬だったのか! と今ごろ知る人もいるハズ。それだけ、ケロリン=銭湯グッズの印象が蔓延しているのだ。では、なぜ、ケロリンが桶となり銭湯を制覇しているのかを究明したい。そこで、銭湯研究の第一人者として38年ものフィールドワークを行う、町田忍さんにレクチャーいただいた。

本家・ケロリンとは内外薬品による鎮痛剤のこと(その概略は右記をご覧あれ)。往時は“置き薬”がポピュラーだったが、薬局が増え、各店舗にケロリンを仕入れてもらいたいという目標ができた。そこで全国の薬局に営業するべく、手段を思案していたところ、ある人物から、思いがけないプランを提案されたのだった。それが1964年(昭和38年)、東京オリンピックの前年のことだ。

ケロリンを開発した内外薬品の社長・笹山順蔵氏の娘婿である笹山忠松さんに、「湯桶にケロリンの広告を出しませんか」と持ちかけたのが、広告会社・睦和商事の山浦和明さんだ。ある日、温泉の桶を見ていた山浦さんは「銭湯の数は全国に2万3千軒もあり、有力な広告媒体になる!」と閃き、スポンサーを求め営業し、内外薬品と巡り会ったのだ。山浦さんのアイデアに、忠松さんは興味を持ち、すぐさま独占契約。ふたりは「ケロリン桶」の全国展開→販路拡大の旅に出るのだった。

折しも、それまでの桶は木製だったが、衛生上の観点からプラスチックに切り替えらえるタイミング。従来と異なる質感に注目度は高いと踏んだ両者は見事成功。今も続くロングセラーアイテムにして広告媒体となった。以来、睦和商事が販売・配布をしてきたが同社の解散により、内外薬品が出資する富山めぐみ製薬が引き継いだ。製造は群馬の関東プラスチックが請け負い、その型は丁寧に扱われ続け50年以上前から変わっていない。蹴飛ばしても、腰掛けられてもビクともしないケロリン桶。永久桶の名の通り、銭湯界で不滅の存在なのだ。

 

ケロリンの正体

1925年(大正14年)に誕生し、今も発売当時と変わらぬ処方箋の解熱鎮痛剤。その名は、ご想像通り「けろりと治る」に由来している。戦後~昭和30年代ごろまでは同名や類似品が多数出るほど、人気を博した。

関東と関西ではサイズが違う!!

左が関西版で、右が関東版と、関西のほうが小さい。その理由は東西のかけ湯の違いにある。関東は蛇口から湯を注ぐが、関西は湯船から直接湯を取る。桶を動かし湯を入れれば重量感は腕にくる。重たすぎぬよう、関西版は小さくなっているのだ。

はじめてのケロリン桶は“白”かった!

原料は乳白色のプラスチックで、当初は色付けされず「白」だった。だが、湯垢が目立つため、黄色に着色されたのだった。白い桶が販売されたのはわずか一年ほど。現物を目にする&手にするのは非常にレアなのだ。

古今東西ケロリン桶コレクション

今も昔も〝銭湯の顔〟として親しまれている「ケロリン桶」。誕生して、今年で57年。町田忍さんのコレクションをお手本に、時代やエリアによっての微妙な違いを観察しよう。

 

スタンダードタイプ

小誌では現行の「関東型」(直径225ミリ×高さ115ミリ)をスタンダードタイプとした。製造は全自動ではなく、バリを削りナイフで仕上げる手作業も多い。
名称が消えては「広告」の意味をなさないため、インクをプラスチックの中まで浸透させる特殊な印刷技術を採用。特許も取得している。

 

軽量・薄手タイプ

向こうが透けてしまうほど、薄くて軽い。関西型のようにサイズは小さくないが、湯船から湯を汲むのには取り回ししやすそうだ。

 

お子さま用

販売期間が短く、 “幻のケロリン”と称される白ケロリン。なかでも激レアなのがキッズ用。小ぶりで内部のプリントも違う!

小さな子どもでも喜んでお風呂に入るよう、ちょっと可愛いらしいデザインに。当然、サイズも小ぶりで、親用(スタンダードタイプ)にすっぽり内蔵できる大きさになっている。

 

黄色・初期タイプ

相当使い込まれた「黄色登場・初期型」。スタンダードでは“頭痛”と記されるところ、ひらがなで“づつう”となっている。いや、それなら“ずつう”が正解だ!?

 

ケロロ軍曹コラボ

ケロリン桶発売50周年の際、漫画『ケロロ軍曹』とのコラボが実現。互いのTwitterアカウント名が似ていることがきっかけとなった。

 

洗面器タイプ

“幻の白ケロリン”といいながら、種々お持ちの町田さん。銭湯の桶は椅子の役目も持つため、広口の洗面器タイプは珍しい。

 

シャンプー用 ※主に女性用

昔は髪を洗うのに別途料金がかり、洗髪料と引き換えに「脚付き桶」を貸してくれた。まだシャワーはなく、桶に湯を溜めて使ったものだった。
椅子に座り、腰をかがめると、通常の桶では遠すぎる。脚を付け、高さを設けることで、無理のない姿勢で髪を洗うことができた。

 

限定品・木製(椹)

2015年(平成27年)、北陸新幹線の開業に合わせて企画された限定モデル。長野産の椹を使い、ロゴデザインを焼印している。

銭湯 = 情報発信地

琺瑯看板<ホーロー>あれこれ

昭和レトロの代名詞的存在・琺瑯看板は、屋外広告用として金属板の上にガラス質の釉薬を焼き付けてつくられたものだ。当然、サビにも強く、銭湯の浴室内の看板に適していたのだ!

やみくもに商品を謳うのではなく、入浴マナーを掲げた注意書きが多かった。上部は啓蒙、下部はナショナル製品——“電球男”とテレビ。「電球買わなくちゃ」や「うちもテレビを買おうかな」と思わせたのか。
目黒にあった「喜楽湯」から町田さんが譲り受けたもの。
精密板金加工「スタックス」が65年ほど前、湯薬を銭湯に卸販売する「エッキス」だったころの看板。
こちらも入浴マナーを伝えている。

風呂上がりの一杯は……

オロナミンC or フルーツ牛乳?

高度経済成長期、三種の神器が登場して……

湯上りの一杯として「ビールは最高!」だが、なぜか銭湯ではノスタルジーに浸りたい。今は自販機タイプが多いが、透明な冷蔵庫ケースがあれば、ついつい、オロナミンC、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳を選んでしまう! なぜこれらが「銭湯飲料トリオ」になったかというと、高度経済成長期、テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった三種の神器が普及しつつあったころ、町の牛乳屋さんが、新しい販路として銭湯に目をつけたのがはじまりだ。「牛乳は冷やさないと傷む」から、朝配達されたらすぐに飲むものだったが、冷蔵庫があればいつでも飲むことができる。銭湯は、家庭よりも先に冷蔵庫を導入していたため、「新鮮な牛乳を飲みたい」という欲求を叶えてくれたのだ。また、当時はコーヒーが高価だったため、「手頃な価格で甘くておいしい」とコーヒー牛乳人気が高まった。続いてフルーツ牛乳、いちご牛乳と増えるが、現在“牛乳”の名をつけるのはNGで乳飲料とされている。で、オロナミンCだ。医薬品として認められず、当初の販路であった薬局系ルートがボツ。なりふり構わず営業をかけたうちのひとつが「銭湯」で、爽やかな飲み口が湯上りに受けたというワケなのだ。

 

ケロリン桶・琺瑯看板は町田忍さんのコレクションをお借りして撮影しました。

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