なぜスタートアップは自らを太らせるのか

【著者紹介】本稿は冨田憲二氏による寄稿記事だ。冨田氏は、ランナー向けSNS「runtrip」などを提供するラントリップの取締役。前職ではSmartNews(スマートニュース)のマーケティング、人事を務め、同組織を200名体制まで成長させた。同氏のnoteではスタートアップに関するさまざなコラムを展開している。

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私が尊敬してやまない経営者の1人にPatagonia(パタゴニア)の創業者であるYvon Chouinard(イヴォン・シュイナード)氏がいる。彼には自らの有名な著書「Let My People Go Surfing(社員をサーフィンに行かせよう)」などがあり、彼を起点としたパタゴニアのユニークな経営哲学に直に触れることができる。その他にも、それほど多くないイヴォンの思想に触れるリソースとして、何度も聴き返すお気に入りのポッドキャストがある。

NPRの「How I Built This」がいかにすばらしいかはここでは割愛するが、約30分のインタビューでイヴォンがつぶやく、シンプルで削ぎ落とされた経営哲学が何度も心に刺さる。そして、聴く度に今、自らが事業で直面している課題に関する、学びがある。

先日久々に聴き返し、改めて学びのあった一節をご紹介しよう。

彼は「成長」には2種類あると前置きした上で以下のように主張している。

One where you grow stronger, and one where you grow fat. You have to look out for growing fat.(一方は力強い成長、もう一方は「肥満」だ。会社が肥満体型にならないよう十分に注意が必要だ)

パタゴニアは公開企業ではなく、100%イヴォンのプライベートな会社として経営されている。急激な成長を目指さず、社会全体・地球環境全体の利益に根ざした意思決定をし、結果として力強い成長を続けている。

先ほどの一節は、彼自身が急激な成長を追い求め、突然のリセッションに家族経営スタイルの社員を解雇した苦しさを猛省した結果の学びとして語られているが、はてと周りを見渡すと「人を増やすことが正義」「組織成長イコール事業成長」という偏った志向やバイアスに踊らされて痛い目を見るスタートアップが多いように思う(自戒の念も込めて)。

もちろん、新たな人的リソースを投入し続けないと組織が成長し続けることはできない。結果、事業も会社も成長できないというのは理解できる考えで、実際正しい部分も多いとは思う。ただ問題なのは、その視点一辺倒だと致命的な組織・会社がつまづきかねないということだ。そんなバイアスを正しい視点に強制するリトマス試験紙として、「Growing fat(太る)」という言い回しが、今回妙にしっくりきたのだ。

太らせずに身体を大きく成長させる

経営や組織は、ときに「筋肉質」などと身体のように例えられることが多々ある。

このような言い回しにおいては「太らせずに健康的に身体を成長させること」が重要だという志向性がある。これは組織を身体として考えれば、異を唱える人は誰もいないだろう。

しかし、一旦猛烈なスタートアップレースに駆り出されると、なぜか定量的に「より多い」ことが正義であるような錯覚に陥ってしまう。売上やユーザー数は当然大いにこしたことはないが、ここでも事業のコアと直結しておらず、リテンションしない一時的な売上増は中長期では無意味だ(キャッシュポジション的に生き残るためのラーメン代稼ぎは別だが)。

また、調達額も組織の頭数も、なぜか多い方が「すげぇ」となってしまう。しかし、当然これは資本政策におけるダイリューションや、人員余剰のリスクを大いに孕んでいる。

にも関わらず、スタートアップレースではこのアクセルをベタ踏みし続ける「定量拡大」のマジックに陥ってしまうのだ。さて、スタートアップのブレーキはどこに行ったのだろうか。

特にエクイティをレバレッジに会社を伸ばそうとすると、ステークホルダーの時間軸で短距離高速レースを強いられるのは避けられない。むしろエクイティを選んだ時点で創業者が自らそのレースへの参加を意思決定したわけなので、言い訳できる隙もないだろう。

ただ、個別の市場環境や内部要因を鑑みて「一辺通りの成長スキーム」をどのスタートアップも適用するべきではないのは明白だ。かつ、オンリーワンのその会社・組織に合わせた、文字通り「太らせない」成長メソッドがあるはずであり、その本質を忘れないように、そして最後は「自らの身体に耳を傾ける」ということを忘れないように、短距離高速レースを勝ち抜いていきたいものだ。当然、自らそのルールに乗ったのであれば、そのルールの元で何としても勝ち抜く気概が何よりも重要だが。

脱メタボなハイカロリー組織へ

基本的にエクイティでレバレッジをかけるスタートアップの航海は、前提として船底に穴が空いているようなものだ。そして、半定期的な(業界では「シリーズ」と称する)外部補給で修理をしながら船を大きくし、船員を増やしながら目的地へ向けて一目散に邁進し続けている。

そんな「スタートアップ航海」において「不健康な増量」がいかにボトルネックなのかということは、言葉を尽くさずとも想像に難くないだろう。時に新型コロナのような致命的な社会経済的後退をともなう大波に襲われれば、船底の浸水速度、つまり船の沈没へのカウントダウンは劇的に加速する。

ただ、こういった「外部環境」の大変化は稀であり、それは当然航海の運命を左右する一撃必殺な危機ではあるものの、「不健康な増量」がリスキーである理由は目に見えない「内部環境」に起因する。

内部環境、つまり組織内部は、基本的に外から見えないほど複雑な生態系であり、人が増えることによるコミュニケーションラインの増大は計り知れない。感覚的には、その複雑さは組織のヘッドカウントの2乗にも3乗にも膨れ上がり、時には組織の負債として積み上がってしまう。

しかし、身体の不調と同じで、暴飲暴食のつけが不具合・病として表面化するにはタイムラグがある。これが本当に厄介だ。

そして、メタボな身体(組織)は「何をやるにもハイカロリー」という問題もある。メタボな身体は、何をやるにも腰が重い。情報共有と意思決定のための会議やコミュニケーションも多い。クイックな意思決定とスピードが命のスタートアップにおいて足枷となってしまうのだ。

そして「重い・遅い」だけならまだ良く、目に見えない進行性の「ガン」が見つかったり、重要な部分が複雑骨折してしまうこともある。その途端、スタートアップの航海は完全にストップし、船底からただ水が溢れかえる事態になりかねないのがスタートアップの常なのだ。

つまり、不健康に太った組織というのは「図体が重い」「機敏に動けない」「スタートアップの強みを活かせない」の三重苦となってしまう。

ゆえに「採用」の重要さが際立つわけだが、これは当然「人員計画通りヘッドカウントを増やし続ける」というオントラックが重要な訳ではない。「そのポジションは本当に必要なのか?」「その人が本当に今必要なのか?」「船員として今背負っていくに値する人材なのか?」。こういったスタートアップの慣性に反する問いを、拡大本能に一瞬だけ蓋をして、自らの身体に問いかけなければならない。

「誰を採用するか」より「誰を採用しないか」のほうが、はるかに大事なのだ。

もっと手前のレイヤーでいえば、トップダウンの人員計画に対してフェアに戦うことができる強い人事やミドルマネジメントも必要だ。さもなくば、「アクセル」だと思っていた採用戦略が「ブレーキ」になりかねない。自らの身体(組織)に耳を傾けて健全な新陳代謝・増量が実現できれば、「ブレーキ」だと思っていたものが実は「アクセル」だったということに気づくだろう。

自戒の意味も込めてここまで述べてきたが、このアクセルコントロールに細心の注意を払いながら、時に大胆に、目線を上げ続けて壮大なる航海を爆進したいものだ。

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カテゴリー:寄稿
タグ:コラム


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