走行性能の高さなどから、メディアで活躍するクルマのプロからも高評価を得ているトヨタの新型「ミライ(MIRAI)」。
そんな新世代の燃料電池車をガレージに迎え入れたのは、モータージャーナリストの岡崎五朗さん。今回はオーナー視点を交えながら、航続距離やランニングコストといった燃料電池車の気になるポイントや、その展望について検証してもらいました。
■レクサスを含めた全トヨタ車の中でベストの乗り味
新型ミライが納車されて1カ月が経った。自身初の“エンジンを積んでいないクルマ”であり、さらにいえば初のトヨタ車となる。正直なところ、いつかは電動駆動車に乗る時が来るだろうとは思っていたけれど、まさかこんなに早いタイミングで、しかもよりによってトヨタ車のオーナーになるとは思っていなかった。
トヨタは、安くて燃費が良くて信頼性が高く、サービス体制も万全。いい換えれば“トヨタを買っておけば間違いない”というブランド価値によって世界最大の自動車メーカーに上り詰めた。しかしその一方で、数年前までのトヨタ車に僕はそれ以上の価値を見い出せずにいた。先代「カローラ」や最後の「ヴィッツ」に至っては酷評さえしていたほどだ。試乗会で話したエンジニアには「いいたいことはいろいろありますが、まずは真っ直ぐ走るクルマを作ってください。ほかの話はそれからです」と伝えたし、メディアには「このままの路線を続けたら次はない」とまで書いた。僕の原稿を読んだ読者の方からはきっと「岡崎五朗はアンチトヨタだ」と思われていたと思う。
そんな僕がなぜミライを買ったのか? 今、流行りの電動化の波に乗りたかったからとか、水素燃料電池という新しい技術をいち早く体験してみたかったから、というのが一番納得してもらいやすい理由だろう。実際、会う人から聞かれるのは「燃料電池車ってどうですか?」、「水素っていくらくらいするんですか?」、「電気自動車と比べてどうですか?」、「航続距離はどのくらいですか?」、「水素の充填時間は?」、「水素って本当にエコなんですか?」、「でも水素ステーションってまだまだ少ないですよね?」といった燃料電池車に関する質問ばかりだ。
これらの質問には後ほどお答えするが、実は僕がミライを買った最大の理由は「燃料電池車だから」ではない。もちろん、水素社会の実現という壮大な社会実験に参加することに関心が全くなかったわけではないけれど、身銭を切って愛車を選ぶひとりのユーザーとして最も重視したのは、当たり前だが“クルマとしての魅力”だ。もし燃料電池車であることを重視していたのなら2014年に登場した初代ミライを買っていたはずだが、全くもって食指が動かなかったというのが実際のところ。悪くないな程度の乗り味、燃料電池車の心臓部である燃料電池スタックをシート下にレイアウトしたことによる腰高なドライビングポジション、何よりあのケバケバしいデザイン。とてもじゃないが身銭を切って自分のガレージに迎え入れる気にはなれなかった。
ところが新型ミライは違った。プロポーションは打って変わって流麗になり、燃料電池スタックをフロントフード内に移設したことでドライビングポジションの問題も一掃された。
何より、乗った感触がこの上なく素晴らしいものだったことが購入に踏み切った最大の理由だ。一般道、高速道路、ワインディングロード、サーキットと、あらゆる状況下で試乗したが、結論は「これほど快適で、これほど気持ちよく曲がり、これほど気持ち良く走るクルマはほかにはなかなか存在しない。レクサスを含めた全トヨタ車の中で間違いなくベスト」というのが僕の下した評価だった。
■インフォテイメント系は根本的な改善が必要
新型ミライへ買い換える前に僕が乗っていたのは1990年式のメルセデス・ベンツ「300E」。W124という型式名で呼ばれるこのクルマは、奇跡の乗り味の持ち主として今なお高く評価され続けているメルセデスの最高傑作だ。30年前のクルマだけに整備には手間とお金が掛かるが、それでもほかに乗るべきクルマが見つからず乗り換えられないでいる人は多い。つまり、基準がW124であるという点で買い換えのハードルはとてつもなく高い。それを見事に乗り越えてしまったのが新型ミライだったのだ。
まずは最初の数メートル走っただけで伝わってくる足回りのしなやかさにうならされ、次いでタイヤノイズの封じ込めも含めた圧倒的な静粛性に驚かされ、荒れた路面でのバタつきのない足さばきや、カーブでの安定感、遅れのないスッキリしたステアリングの反応、狙い通りのラインをトレースする性能等々に魅了された。
加えて、駆動するのは振動や騒音が全くない電気モーターだ。そう、レクサスのフラッグシップである「LS」と同じ“GA-Lワイドプラットフォーム”に、V型12気筒エンジンに勝るとも劣らない静粛性とスムーズさを与えてしまったのが新型ミライなのである。
さらにいえば、モーターはエンジンと違って振動を吸収するためのゴム製エンジンマウントが必要なく車体に剛結できるから、路面からの突き上げで重量物が上下に揺すられたり、ハンドルを切った時にゴムのたわみ分の遅れやお釣りが出たりしない。前後の重量配分もほぼ50:50だ。このように、新型ミライには気持ちのいい走りを実現するための諸条件が、これでもかというほどそろっているのだ。
動力性能に関しても、80km/hプラスαまでなら、という注釈つきで太鼓判を押せる。停止状態や一定速巡航状態からのアクセル操作に対するタイムラグのない力強くスムーズな加速はほれぼれするほど気持ちがいい。カタパルトから発射されるようなテスラの怒濤のごとき加速と比べればかなりマイルドではあるが、僕は乗用車にああいう加速は望んでいないし、そもそも限られた一部のスポーツカー以外に富士急ハイランドの「ド・ドンパ」的加速を与えるのは安全上好ましくないと考えている。ただし将来的には、新東名の最高速度である120km/hくらいまでは車速の伸びを維持する方向での進化を期待したいとも思う。
一方、新型ミライで不満なのはインフォテイメント系の仕上がり。内蔵された通信機能で天気やレストランなどさまざまな情報を取得できる仕組みを整えているものの、インターフェイスがいまひとつ洗練されていないため積極的に活用しようという気になれない。例えば最寄りの水素ステーションの検索もワンタッチでは行えず、メニューボタンから階層をたどり、ようやくたどり着くと「安全のため走行中は表示できません」という残念なメッセージが出てきてしまうといった具合だ。テスラはこの辺りがとてもよくできている。
もちろん安全は重要なのでレストラン検索まで走行中にできるようにすべきとは全く思わないが、ただでさえ水素ステーションの数は少ないのだから、サービスエリアに寄らないと検索ができないようでは高速道路を降りるタイミングを逸してしまうリスクもある。この辺り、利便性と安全性の兼ね合いは今後きちんと整理すべきだし、今後インフォテインメント系でGAFAと本気で勝負するつもりなら根本的な改善が必要だと思う。
■ランニングコストは10km/Lのレギュラーガソリン車と同等
新型ミライの燃料電池車としての使い勝手も報告しておこう。納車後1500kmほど走ったが、自宅近くに数軒の水素ステーションがあるため(これも購入理由のひとつだ)今のところ不便を感じたことはない。
これまでの平均燃費は水素1kgあたり90km。水素タンクの容量は5.6㎏だから航続距離は5.6×90で504kmとなる。エコランすればカタログ数値の750kmに届かせるのも不可能ではないが、まあ実用500kmと思っておけばいいだろう。最近は電気自動車でも500km以上走れるものがでてきているため500kmという数字自体はとりたてて目立つものではないけれど、燃料電池車が圧倒的に優れているのはわずか3分で500km分の水素充填ができてしまうこと。一部でささやかれる、ステーション側の圧力低下による充填待ちに関しても、「SORA(ソラ)」という燃料電池バスに続いて充填したことがあるが、充填時間が通常の3分から5分程度に延びたくらいで特に問題はなかった。マンション住まいなどで自宅充電ができない人にとって、この利便性は大きなアドバンテージになる。ちなみに水素の価格は消費税込みで1kg当たり1210円。ざっくりリッターあたり10km走るレギュラーガソリン車と同等のランニングコストになる。
肝心の水素ステーションだが、現状は全国でわずか162カ所。しかもその大半は大都市に集中し、営業時間も短い。しかし、水素ステーション設置に関する国の規制緩和はどんどん進んでいて、従来は5億円の建設費が必要だったのが2億円程度に下がる見込み。既存のガソリンスタンドへの併設や、実証実験段階だがセルフ型も営業中だ。また、エネオスは2021年度に洗車機を備えた24時間営業の水素ステーションを東京都の晴海に開業する予定と、利便性は今後確実に改善されていく。2025年度までに全国で320カ所の建設という目標が達成され、さらに高速道路のサービスエリアにも水素ステーションができれば、ほぼガソリン車と変わらない使い勝手で燃料電池車に乗れる人が間違いなく増えていく。
■低カーボン社会と水素はセットで考えるべき
エコ度という点はどうか? 水素は水を電気分解して作れるが、現状は天然ガスからの改質で作った水素がメインであり、走行段階を除けばカーボンゼロではない。この辺りは火力発電で得られた電気で走る電気自動車と同じ文脈だ。
しかし、国の方針である2050年のカーボンニュートラルを考えると、太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーを増やすことは必要不可欠であり、そこで水素は“電気の缶詰”として大きな役割を果たす。太陽光発電や風力発電は日照条件や風の強さで発電量が大きく変動するため、電気が余る日もあれば不足する日も出てくる。そこで安定した電力を提供するには電力を溜めておく必要が出てくるのだが、バッテリーは短期的な需給調整には向いているが、夏と冬の季節変動まで含めた大量の電力を長期間に渡って備蓄しておくのには向いていない。そこで電力を水素に変換するというアイデアが意味を持ってくる。つまり、バッテリーか燃料電池かという二元論は全くもって無意味な議論であり、再生可能エネルギーを増やしていくには両方が必要、いい換えれば低カーボン社会と水素はセットなのだ。
クルマ単体として考えた場合も、ガソリン車の置き換えは電気自動車、ディーゼル車の置き換えは燃料電池車というように棲み分けが進んでいくだろう。「わざわざ水素を作るより電気をバッテリーに溜めて走らせた方が効率がいい」と主張する人もいるが、たくさんの荷物を積んで長距離を走る大型トラックを、大きくて重いバッテリーで走らせるのもまた非効率極まりない。重要なのは適材適所の発想である。
水素はまだまだコストが高く(1210円/㎏では赤字だろう)、かつ化石燃料を原料としているのが現実であり、燃料電池車が現時点で素晴らしくエコであるとはいえない。しかし、今後トラックや船舶、発電所など、社会全体での水素消費量が増え、同時に再生可能エネルギーの供給量が増えていけば、単価は3分の1程度まで下がり、かつカーボンニュートラルを実現するためのキーテクノロジーのひとつに成長していくだろう。そんな水素社会に向けた最初の一歩がミライだ。実際、ミライの燃料電池スタックは今後バスやトラックのほか、船舶や産業用発電機といったさまざまな場所で活用される予定だ。
トヨタが北米で実証を進める燃料電池大型商用トラックのプロトタイプ。新型ミライに搭載される第2世代の燃料電池システムを採用している
このように大いなる可能性を秘めた燃料電池車だが、繰り返しになるが、そこは僕がミライを購入した決定的な理由ではない。来たるべき将来の水素社会という壮大な社会実験に参加することにそれなりの面白さがあるのも否定しない。が、710〜805万円という価格はボランティア精神で気楽に参加できるようなレベルじゃない。自治体によっては最大で200万円以上出る補助金を差し引いたとしても、クルマとしての魅力がなければ成立しないことは、7年で4000台弱という販売台数にとどまった初代ミライが如実に証明している。そういう意味で、新型ミライを開発するに当たって、クルマとしての魅力をとことん磨き上げてきたところにトヨタの燃料電池車普及に対する並み並みならぬ意気込みを感じる。そして、それにまんまと乗せられた人物がここにひとりいるということだ。
>>トヨタ「ミライ」
文/岡崎五朗
岡崎五朗|青山学院大学 理工学部に在学していた時から執筆活動を開始。鋭い分析力を活かし、多くの雑誌やWebサイトなどで活躍中。テレビ神奈川の自動車情報番組『クルマでいこう!』のMCとしてもお馴染みだ。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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- Original:https://www.goodspress.jp/reports/355013/
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