【アジア サンダル紀行 #02】
ーベトナム・ハノイ後編ー
亜熱帯化した日本の夏を少しでも快適に過ごすには、暑い国の人たちを参考にすべし。暑い日にほしいものといえば、やっぱりサンダルだ。そんな思いつきひとつでやってきたベトナムの首都ハノイ。
>> 日本が暑すぎるから、暑い国のサンダル事情を見にベトナム・ハノイへ
雨季直前、5月中旬のハノイは最高気温30℃前後とそこまで暑いわけではなく、街の人のサンダル率も50%ちょっとと思ったほどではなかったが、観光地である旧市街から離れ、サンダルにフォーカスして街を眺めると、そこにはやはりサンダルの風景が広がっていた。
宿に戻り、せっかくだから一足買ってみるかと街に出ることに。
■なんすか、このハイブランドのサンダルは…
ハノイの旧市街やホアンキエム湖周辺はとにかく観光客が多い。中でも目立つのは欧米の人々。欧米人観光客の足元はスニーカーが多い。みな重い荷物を持って歩くからなのだろうか。それともサンダルで外出する習慣があまりないからなのだろうか。
フォーサオで腹ごしらえして旧市街をプラプラ。
北はドンスアン市場やロンビエン駅から南はハノイ大教会やオペラハウスあたりまで街を眺めつつ歩いていたところ、有名な水上人形劇場の裏手に位置するハンザウ通り(Pho Hàng Dầu)でサンダルを大量に置いてある店を発見。並びや向かいにも同様の店がいくつかある。
▲店内には靴もあるが、外はほぼサンダル
こりゃあいい。なにか昔ながらのロングセラー商品とかが見つかるかもしれない。
最初の店で10代とおぼしき若い女性店員さんに英語で話しかけたところ、こっちの英語がしょぼいからかまったく通じず。スマホのGoogle翻訳でベトナム語を表示させ「昔からあるサンダルってありますか?」とたずねたところ、首を傾げて悩み始めた。さすがに若いから知らないのかなと思い「人気のサンダルってどれですか?」と聞いたところ、指をさしたのがシ◯ネルなどハイブランドのロゴが付いたサンダルだった。あぁ、うん…、そうなのね。
さすがにそれは、と思い、お礼を言って次の店へ。
▲サンダルだらけ
今度は30~40代とおぼしき男性に同じく「昔から売ってるサンダルはありますか」とスマホでたずねたが、ちょっと考えたあと「NO、ホンコー(không có/ない)」との返答が。はたしてこの店にはないのか、そもそもそんなものはないのかわからなかったが、ノーと言われてしまったら、こちらはもう何も言えない。せっかくだから人気モデルはどれかと聞いてみると、近くに座っていた女性の店員さんに話しかけたあと「これかな」といった雰囲気でジェスチャーで教えてくれた。それは予想通り、厚底のEVAサンダルだった。
▲こ、これは…
ハノイメトロ車内にいた学生さんが履いていたやつで、バイクに乗っている若者でもよく見かけるやつだ。これたしかに履き心地良さそう。
値段を聞くと「ツーハンドレッド」。200Kドン=20万ドン=約1200円。観光地価格なのかそれとも適正価格なのか、まったくわからん。試しに足を入れさせてもらったが(靴下を履いていた)、想像通りふかふかタイプだ。気持ちいい。
他にも置いてあるサンダルを見てみると、元祖EVAサンダルのクロックス(本物かどうかは不明)や横に3本線が入ったアディダスのサンダル(本物以下略)、そしてハイブランドのロゴ入りEVAサンダル(画像自粛)など、どれもこれもEVAサンダルばかり。
考えてみれば日本でもクロックスが登場して以降、ご近所サンダルはほぼEVA製になったわけで、その履き心地の良さは、どこで履こうが一緒。そりゃみんな快適なのがいいよね。
ベトナムは現在、世界中のブランドが製造地としている国だ。中でも、ザ・ノース・フェイスやナイキをはじめとしたアウトドア・スポーツ系のブランドはMade in Vietnamが本当に多い。それは製造を任せられる技術力があるという証左でもある。もしこれらサンダル店に飾られているEVAサンダルもそういった工場が作っているのであれば、品質的にも安心はできる。1000円程度のサンダルに何を求めているのかという話ではあるが。
考えごとをしながらサンダルを眺めていたら、店の男性は「こいつ買わないのか」といった様子で椅子に座ってしまった。申し訳ない。
結局、ハンザウ通りでは何も買わず。いやだって、結構嵩張るから荷物になりそうで…。昔からベトナム人にとっては定番といったサンダルがあれば、荷物になろうが即買いするつもりだったのだが。
その後、ドンスアン市場の中を隈なく歩いてみたところ、サンダルをたくさん飾っている店がいくつかあったが、ラインナップはハンザウ通りと変わらず。昔ながらの定番があるか聞いてみても、やはり誰からも「あるよ」という答えはなかった。残念。
とはいえ、本当に街ゆく人々の足元はサンダルが多い。自分がこの街に住むことを考えると、そりゃあサンダル履いちゃうよな、などと思いつつ、この日のサンダル巡りを終えた。
■ホーおじさんの愛用品
翌朝は、ハノイ行きを決めた時から寄る予定だった場所へ。宿からは2kmほど。Grabタクシーを使うことも考えたが、せっかくだから歩くことに。
宿近くの道沿いでブンリューで腹ごしらえ。その後、途中のカフェでベトナムコーヒー(ブラック)でひと息つきつつ、目的地に到着。
そこはベトナム国民から今も愛されるホーおじさん(Bác Hồ/バックホー)ことホー・チ・ミンが眠るホーチミン廟だ。永久保存処置を施されたご本人の遺体が安置されている。午前の早い時間しか見学できないのだが、とにかく行列がすごい。小学生とおぼしき団体さんも数多くいたので、もしかするとベトナム全土から来ているのかもしれない。
通り過ぎながら見るといった感じで、見学料は無料。存命中のホー・チ・ミンを知る世代ではないが、死後もこれだけ国民から愛されている国家指導者は珍しいかもしれない。
ホーチミン廟見学後は、近くにあるホーチミン博物館へ。ここはホーおじさんの足跡を辿る資料が展示されている。
ホーチミン廟にあれだけ人が並んでいたのに、こっちは不思議なほど人が少ない。東側の雰囲気を感じる建物ではあるが、それがまたいい。
展示は、1890年生まれのホーおじさんの生家から始まり、留学や国家主席時代、そして晩年のベトナム戦争時と、さまざまな資料をもとに時代を追って説明されている。
解説文がベトナム語と英語なので、すべてをしっかり読んだわけではないが、ちょくちょく日本語の資料があったりして、個人的にはかなり興味深い内容だった。のだが…。
そう、そいつは唐突に現れた。晩年のホーおじさんコーナーに、ホーおじさんの執務室を再現した展示があり、「いい雰囲気の執務室だな」なんて思いつつ、左に目をやると、当時のホーおじさんの愛用品(本物)が飾られていたのだ。そしてその中にはサンダルが!
▲ホー・チ・ミンの愛用品
説明には英語で「ホー・チ・ミンのラバーサンダル」とだけ書かれている。シンプル。履いていた雰囲気があることから、おそらくご本人が履いていたものではないかと思われる。
近くで眠そうに座っていた係員のおじいちゃんに、スマホのGoogle翻訳で「あそこに飾ってあるサンダルはホー・チ・ミンが履いていた本物?」と聞いたら、頷いた。ついでに「スマホで写真撮っていい?」と聞くと、またしても静かに頷いたので、写真を撮らせてもらうことに。
国家主席がゴムサンダルって、なんだかとてもベトナムっぽく、そしてホー・チ・ミンっぽい気がした。
国家主席時代の写真も数多く展示されていたのだが、それらをよく見ると「農作業するホーおじさん」の足元がサンダルだったり、小学生の表敬訪問時の記念写真の足元がサンダルだったり、高校生らしき集団と一緒に写った写真の足元がサンダルだったりと、とにかくホーおじさんのサンダル姿が数多く見つかる。
前日の、納得しつつもちょっと残念感があるサンダル探しがあったため、ホーおじさんのサンダルにひとり興奮状態。資料をめくりサンダルおじさんを見つけるたびにニヤニヤしていた。
暑い国のサンダル事情を見に来たところ、国民に愛される偉人のサンダル姿を発見する。なんだか不思議な縁を感じて、思わずホーおじさんの肖像画に「カムオン(ありがとう)」と言ってしまった。
そんな興奮も冷めやらぬままに博物館見学は終了。個人的な満足感はかなり高く、ほくほく顔で出口に向うべく歩いていると、最後に現れたのがグッズ売り場だ。
その正面にはなんとゴムサンダルが置かれているではないか! これだよ、これ! 先ほど撮った写真で確認しつつ、限りなくホーおじさん愛用品に近いモデルを購入。20万ドン(約1200円)也。
いやー、本当にありがとう、ホーおじさん。
そして博物館の建物から出たところ、なんとここにもゴムサンダルの売店が。グッズ売り場のゴムサンダルコーナーと同じ看板が掲げられているから、おそらくグッズ売り場で買ったものも、この店のものなのだろう。その名は「VUA DÉP LỐP」。
店番の女の子に英語で「ホー・チ・ミンと同じサンダルはある?」と聞いたところ、たぶんこれかな、といった様子で足首のストラップが付いているモデルを見せてくれた。
すると店主らしき男性が来て「完全に同じものではないんですよ。ほとんど同じだけどね」と英語で教えてくれた。お値段なんと105万ドン(約6300円)! すいません、さっき買ったひとつで十分です…。
後日、お店のサイトで確認したところ、ホー・チ・ミン レプリカモデルは「1947-Bác Hồ Hậu」と名付けられているだけあり、フットベッドの溝などは博物館で飾られていたものとそっくり。ホーおじさん好きは要チェックだ。
ホーおじさんも愛用していたこのゴムサンダル、インドシナ戦争(ベトナムのフランスからの独立戦争)当時の1947年に軍用廃タイヤから作られたもので、ベトナム全軍に支給されたという。その後、時代を経て多くの工場が閉鎖していく中、ひとり作り続けた職人がいた。その職人の義理の息子が2013年に立ち上げたのが、このタイヤサンダルブランド「VUA DÉP LỐP」とのこと。
>> VUA DÉP LỐP
ベトナム戦争時、ベトコン(ベトナムコンサン/越南共産)の兵士たちもこのタイヤサンダルを履いていたようで、アメリカ軍からは「ホーチミンサンダル」もしくは「ホーチ」と呼ばれていたという話もある。ちなみにベトナム語でDÉPはサンダル、LỐPはタイヤという意味だ。
さすがに街なかでタイヤサンダルを履いている人は見かけなかったが、帰国後、買ったサンダルを履いてみたところ、予想外に履き心地がいいのだ。
ストラップが当たる甲も痛くなく、とても歩きやすい。厚底ふかふかめちゃ軽のEVAサンダルやリカバリーサンダルに慣れた足でも違和感なく履けた。いやむしろ、この絶妙な硬さがイイ感じですらある。
やるな、タイヤサンダル。
* * *
暑い国だからこそ、みんなサンダルを履いているだろう、という安易な気持ちで向かったベトナム・ハノイ(そもそもハノイの冬はそこそこ寒い)だったが、世界はEVAサンダル時代に突入していることを思い知らされた。
それもこれも行ってみなければわからないことなわけだが、そうやって現地でサンダルを探してみた結果として、タイヤサンダルにたどり着いたというのは、やはり行ってみなければわからないことだった気がする。
もちろんどの国でも、都会と地方でも事情が異なるだろうし、サンダルなんて安くて履ければいい、ダメになれば別のものを買えばいい、なんて人もいるだろう。だが、歴史や生活習慣、そして経済状況などでも変わってくるのが服飾事情だ。もちろん流行り廃りもある。今後も世界の工場であり続けることで、5年後には現在日本でも流行中のリカバリーサンダルがハンザウ通りのサンダル店にずらりと並ぶ日がくるかもしれない。
>> アジア サンダル紀行
<取材・文/円道秀和(&GP)>
円道秀和|&GP編集部所属。担当ジャンルはITデジタル、オーディオビジュアル、ホビー他。好きなものはコーヒー、旅行、キャンプ、乗り物全般、カレー、ラーメン、アジア料理、小さいギア。好きが高じてSCAJコーヒーマイスターの資格を取得。
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- Original:https://www.goodspress.jp/columns/687069/
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