独創的な発想から数々の名車が生まれた ~光岡自動車~【GPジャーナル】

【GPジャーナル】

毎月、独自のイノベーションや情熱、モノづくりへのこだわりを持った“気になる企業”にズームアップ。その現場の裏側を深堀りします!

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【VOL.02】

<PICK UP>

株式会社光岡自動車

設立年:1979年
従業員数:約580人

富山県に本社を置く“日本10番目の乗用自動車メーカー”。「オロチ」や「ヒミコ」に代表される個性的なオリジナルカーの生産・販売を主軸に、ランボルギーニなどの正規輸入ディーラー事業、中古車販売も行っている。

■唯一無二の個性的なカーデザイン、独創的な発想から数々の名車が生まれた

日本の自動車業界で、オンリーワンを目指す光岡自動車。日本10番目の乗用自動車メーカーである同社の歩みは、光岡進氏が旅先のアメリカで出会った〝キットカー(名車モチーフのオリジナルボディを、既成車のシャーシに載せて組み立てるカスタ
ムカー)〞から大きな転換期を迎えたといえる。これを研究し、製作・販売する中で培われたミツオカの〝デザイン〞。そこから同社のクルマづくりを紐解いていく。

ミツオカ車の魅力となっているのが、海外の往年の名車を彷彿とさせる意匠を落とし込んだ独自性溢れるデザインラインだ。では、そのデザインがどうやって生まれるのか。商品企画を取り仕切る渡部稔さんに訊いた。

「私がミーティングで出した妄想のようなリクエストを、デザイナーふたり(青木孝憲氏、渡辺清和氏)とのセッションの中で、形にしてもらうという流れで、基本的にデザインありき。そのスタイルを具現化させるための最適解は? と考えてベース車は選定されます。

ですから、いくらデザインが良くても最適なベース車が見つからなければボツにもします。ミツオカ車を愛してくれるユーザーの皆様が求めるのは、心の高揚感だと我々は考えています。大手メーカーの〝誰もが乗っているような車〞では満足できない。そんなマイノリティであることに誇りと価値を感じてくださる皆さんと同じ感覚を共有しながら、クルマづくりをしています」(渡部さん)

またデザインと同様に〝機能性〞にも重きを置き、安全性・利便性ともに時代に合った品質を担保している点も見逃せない。

「誰もやったことのない事に挑戦しよう」とトライ&エラーを繰り返しながら成長してきた同社。ぜひ公式サイトも覗いてほしい。歴代車種と現行車のラインアップの紹介は、どれも説明的ではなく感覚的だ。なぜなのか。それはユーザーとミツオカの車が、その後どんなストーリーを紡いでいくかが最重要だと考えるがゆえ。人とクルマに真摯に向き合い、価値観をアップデートしながらも貫くオリジナリティ。ミツオカのクルマづくりの流儀は、これからも変わらない。

オリジナルカー事業部
営業企画本部長 渡部 稔さん
創業者・光岡進氏のスピリッツを受け継ぎながらも新たな可能性を追求。これまで誰も見た事がないような商品企画を実現させるべく日々奮闘中

 

▲同社の車は、本拠地・富山県の自社工場で、熟練の職人による手作業にて、一つひとつ丁寧に作られる。ゆえに少数生産が基本、自ずと希少価値も高まるのだ

創業者・光岡進から受け継がれる“自由な発想と遊び心”でクルマづくりを行ってきたミツオカ。ここでは同社の礎を築いた、草分け的ミニカーから現行モデルまで、歴代の名車とともにその歩みを辿っていくとしよう。

【MITSUOKA Car History】

<1982>
BUBU 50 シリーズ

■ミニカーブームに乗って大ヒット

原付免許で運転できるひとり乗りマイクロカー。その手軽さからヒットするも、1985年の新道路交通法施行で運転免許証が原付から普通免許に移行されたことを機に、生産を終了。

<1987>
BUBU Classic SSK

■あの“ルパン三世の愛車”を再現

ベース車両は「VWビートル」。1920年代の名車「ベンツSSK」の姿を現代に甦らせつつ、乗用車としての機能も兼備したレプリカカー。200台限定販売でマニアらを大いに沸かせた。

<1990>
ラ・セード

■優美かつ豪奢なスタイル4日で500台が完売!

日産「シルビア」をベースに、オリジナルの梯子状フレームと組み合わせたクラシカルなクーペタイプ。初代は限定500台。発売直後から大きな話題となり、わずか4日間で完売!

<1993>
ビュート

■英国嗜好のクラシカルな姿で魅了

ジャガー「Mk2」がモチーフで、ベースは日産「マーチ」。クラシカル&豪華な内外装が目を引く、光岡自動車の代表作のひとつ。現在もなおアップデートモデルが人気を博している。

<1994>
ゼロワン

■オリジナルシャーシ採用、運命を変えたスポーツカー

名車「ロータス・スーパーセブン」をモチーフに、自社で設計・製造したフレームを使用。1996年に新型自動車の型式認定を受けたことで、日本10番目の乗用自動車メーカーに!

<2008>
ヒミコ

■グラマラスに魅せる麗しの女王

「ラ・セード」の後継車にあたる電動オープン2シーター。マツダ「ロードスター」(NC型)をベースに、ホイールベースを700mmも延長。その名に相応しきファビュラスな佇まいだ。

<2018>
ロックスター

■ヤンチャでスタイリッシュな野郎

創業50周年記念車としてリリース。往年の名アメ車「C2」から着想を得ており、流線型のボンネットと鋭い顔つきのフェンダーが印象深い。200台限定でリリースされ2カ月で完売。

バディ

■ラフに付き合える、頼もしき相棒

史上初のクロスオーバーSUV。80年代のアメリカンSUVを彷彿とさせるスクエアな4灯フェイスが印象的だ。ベース車はトヨタ「RAV4」。

<現行モデル>
M55(エム ダブルファイブ)

■希望に満ちたあの時代の息吹を今

エネルギッシュだった“あの頃の日本”、その象徴として当時の少年らが憧れたGTカーを具現化。フロントの丸目4灯が実にハンサム。

<現行モデル>
リューギ

■変わらぬ美学。ミツオカの流儀

ロールス・ロイスの「シルヴァークラウドI」を想起させるトラディショナルな佇まい。同社初のハイブリッド車もラインアップする。

<現行モデル>
ビュート ストーリー

■令和の世に相応しい“美・遊・人”

レトロで愛らしい表情はそのまま、優しく大人っぽい雰囲気をまとった4代目「ビュート」。先進安全装置の機能拡大で日常に寄り添う。

■純国産スーパーカー「オロチ」はかくして誕生した

ミツオカを象徴する存在、それが唯一無二の和製スポーツカー「オロチ」。ワイド&ローのスタイルと有機的な曲線を描くボディラインに込められたものとは? 同車のデザインを手がけた生みの親である青木孝憲さんに訊いた。

*  *  *

「スーパーカーを考案せよ」。

光岡進社長(当時)が全社に下したこの社命に、青木さんは即反応。「なぜ真っ先に自分に声をかけないのか?」と憤慨しつつも、大量の案を描き本社に送りつけた。だが返ってきたのは、「どこかで見たことがあるようなつまらないものを出すな!」という叱責。そこで青木さんは自身の内面に潜り、ヒントを探った。

「既存のスーパーカーは、学生時代に劣等感を抱いた〝頭が良く運動神経抜群のイケメン〞。彼らを見返してやりたいという思いから〝八岐大蛇〞というモチーフに辿り着きました」(青木)

ヘビの妖艶さと神秘性、ロックミュージックの根幹にあるマイノリティであることの誇りと反骨心。これらを元に唯一無二のスーパーカーは誕生したのだ。

株式会社光岡自動車
オリジナルカー事業部 商品企画課 課長
青木孝憲さん
1997年に光岡自動車入社。「オロチ」「ヒミコ」「ロックスター」「バディ」といった、同社を代表する名車のデザインを手がけたことで知られる

 

▲ボディカラーは約300色、内装本革も25色から選べるなど、所有欲を刺激するハンドメイドの完全受注生産モデルとして人気を博す。スーパーカーだが、日常使いから遠距離ドライブにまで対応

■年1回のオーナーズミーティングにコアなファンが集結!

ミツオカ車のオーナーたちが各々の愛車とともに参加する年に一度の大イベント。幅広い世代のファン同士が、交流とミツオカ愛を深める場となっている。オープンスペースで開催されるため、一般の人でも見学は可能。

■実はこんなクルマも作ってます!

寝台霊柩車「プレミアムフュージョン」

ベース車はトヨタ「アルファード」。一見するとラグジュアリーなワゴンだが、内部には棺はもちろん、業務に必要な道具や装備などが収納可能。内装にも高級感があり、人生最後に乗るクルマとしても至上の1台。

>> 連載【GPジャーナル】

※2025年10月6日発売「GoodsPress」11月号106-109ページの記事をもとに構成しています

<取材・文/TOMMY 撮影/河田浩明 イラスト/福島モンタ>

 

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