パンデミック渦、本の売り上げが上昇した。それにともない人々の読書量も増えている。Inkitt(インキット)は誰もがストーリーを書いて公開できる同名の無料プラットフォームを運営しているスタートアップだ。同社はさらにデータサイエンスを用いてそこに掲載されたストーリーを分析し、選ばれたストーリーを別の有料アプリGalatea(ガラテア)で長編作品として発表するという仕組みをとっている。この絶好の時期を捉え、同社は5900万ドル(約66億円)の資金調達を達成した。シリーズBでの評価額は公表されていないが、筆者が信頼できる情報源から得た情報によると、3億9000万ドル(約436億円)程度だという。
ベルリンを拠点とするInkitt。今回の資金調達はアルゴリズムとテクノロジーの構築を継続するために使用される予定だ。無料アプリから有料アプリに飛躍させる長編作品の選択、ストーリーの方向性のバリエーションのA/Bテストを行う「編集者」としての役割など、ストーリーのキュレーションは人間ではなくすべてアルゴリズムによって行われるため、アルゴリズムとテクノロジーの構築はとても重要な要素になる。また今回の資金は、特に北米市場へのさらなる進出に向けたより多くの人材雇用のために使用される予定だという。さらに、長期的にプラットフォームを拡張する方法についても検討をすすめている。そのためには読書以外のフォーマットも含まれる可能性があり(例えば現在オーディオにも着手し始めている)、またAPIやSDKを構築し、他の出版社などがこのツールを使って書籍化の可能性のある短編作品をテストできるようにするというようなことも考えている。
Inkittはここ数年間著しい成長を続けている。同社は現在700万人のユーザー(つまり読者)と30万人のライターのコミュニティを抱えており、筆者が前回の資金調達ラウンドを取材した2019年の時点では、160万人の読者と11万人のライターだったので、約3倍に増えていることになる。一方、有料のGalateaアプリのランレートも3800万ドル(約42億5000万円)を超えている。2年前はわずか600万ドル(約6億7000万円)だったため、この数字は6倍以上である。
同スタートアップは出版業界のさまざまな企業からも注目されており、今回のラウンドに投資する企業の顔ぶれがそれを物語っている。
NEAのマネージングジェネラルパートナーであるScott Sandell(スコット・サンデル)氏と、ドイツの出版大手Axel Springer(アクセル・シュプリンガー)が今回の投資を共同で主導。これまでにPenguin Books(ペンギン・ブックス)のCEOを務め、Disney Publishing(ディズニー・パブリッシング)を立ち上げたこともあるDisney(ディズニー)の元上級幹部で現在Snap(スナップ)の会長であるMichael Lynton(マイケル・リントン)氏の他、Macmillan(マクミラン出版社)などを所有し、自身の名を冠した出版大手の会長を務めるStefan von Holtzbrinck(ステファン・フォン・ホルツブリンク)氏、Kleiner Perkins(クライナー・パーキンス)、HV Capital(HVキャピタル)、Redalpine(レッドアルピン)、Speedinvest(スピードインベスト)などが参加している。ちなみにKleinerはInkittのシリーズAを主導している。
このプラットフォームに参加している作家(少なくとも最初の章がInkittのアルゴリズムに合致し、それを読者に響くような長編作品に仕上げた作家)も、かなり大きな数字を達成しており、その中にはおとぎ話のようなサクセスストーリーもいくつか含まれている。
インドの中でも貧しい州の1つであるオディシャ州出身のSeemran Sahoo(シームラン・サフー)氏は、スマートフォンのみを使用してInkittに発表した小説「The Arrangement」でこれまでに270万ドル(約3億円)を稼いでいる。イスラエルのSapir Englard(サピア・エングラード)氏は、当初Inkittで発刊した「The Millennium Wolves」の収益を、ボストンのバークリー音楽院の学費に充てたいと考えていた。米国の高等教育機関の学費は高いものの、それでも彼女はその目標には十分すぎるほどの額を達成、これまでに小説で800万ドル(約9億円)を稼いだという(注:いずれもInkittの前回の資金調達ラウンドの前に出版されたものであり、彼らはその後も売り上げを上げ続けている)。
この2人は異例の成功だが、Inkittの創業者兼CEOのAli Albazaz(アリ・アルバザズ)氏(下記写真)は、Galateaに選ばれた人のほとんどが、他の出版環境に比べて非常にうまくいっていると話している。
「Galateaの作家の大半は10万ドル(約1100万円)以上の売り上げを記録しています」と同氏はいう。しかし、今は書籍、それも特に超大作がInkittの活動の中心にあるわけだが、同社の今後の大きなビジョンは単なる読書に留まらないとアルバザズ氏は話している。同社はオーディオブックの開発にも着手し始めており、映画、テレビ番組、マーチャンダイジング、ゲーム、さらにはテーマパークの開発も計画しているという。「21世紀のディズニー」というのは同氏の言葉である。
同社の道のりは一貫して順調だが、猛スピードでことが進んでいるわけでもない。これはアルバザズ氏が2019年に語ってくれた通りのシナリオである(しかし当初のプランから変わってきたものもいくつかある。例えば当初Galateaのユニークなセールスポイントには、本に付加する一連の「エフェクト」、つまり読書体験をより没入的にするための音や揺れがあった。これらエフェクトは今でも存在はするが、もはやすべての中核的な存在ではないようで、今回の我々の会話の中でアルバザズ氏もエフェクトについては後付けの要素としか言わなかった)。
なぜディズニーのビジョンがまだ実現されていないのかというと、パンデミックがあったから、というのが公平な言い分である。それに「Move fast and break things(すばやく行動し破壊せよ)」という考えがいつも正解なわけではない。
アルバザズ氏によると、同社には「テレビや映画、制作会社からGalatea / Inkittの本に対するコンテンツベースの依頼が毎週2〜4件きている」とのことだが(出版社であるInkittは映画化などの権利を保有している)、まだどれも契約には至っていない。その理由の1つはこのディズニーのアイデアにある。Inkittは次なるステージでも大きな役割を果たしたいと考えているからだ。
「何がベストなのかを検討中です。我々はGalateaに動画を設置するという選択肢を残しておきたいのです」と同氏。ちなみに、Sony Pictures Entertainment(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)のCEOを務めたこともあるマイケル・リントン氏がこの分野でも力を発揮してくれそうだ。
2021年初めに韓国のNaver(ネイバー)に約6億ドル(約671億円)で買収されたWattpad(ワットパッド)のような他の自費出版プラットフォームと同様に(Wattpadも彼らなりの「ディズニー」ビジョンを持っており、プラットフォームで芽を出した作品から、動画などさまざまなコンテンツを生み出していた)、Inkittは文章で生計を立てたいと夢見ているクリエイティブな人々や、自分の作品を世に送り出したいと思っている人々のために市場への新しいルートを開拓した。もちろん、FanFiction(ファンフィクション)のようなサイトからAmazon(アマゾン)やその他あらゆるサイトまで、同様のことができる場所はすでにたくさん存在する。
後者についてアルバザズ氏は、書籍の「マージンをすべて奪い、利益を押し下げ」、Kindle(キンドル)によって読書体験を台無しにした巨大eコマースサイトへの嫌悪感を露わにしている。この気持ちが、Inkittに加えてGalateaを作った理由だと同氏はいう。以前は、Inkittアプリの短編フォーマットを超えた書籍をAmazonに移行させていたからだ。しかし、Inkittには皆が必ずしも納得するわけではない独自のひねりがあることも指摘しておきたい。
ある著名な作家(名前は非公表)は、新作がInkittマシンでどのように評価されるかに興味を持ち、そこに掲載するための章を提出した。
Inkittのデータサイエンスエンジンは誰が書いているかには無頓着で、何が「うまくいくか」だけを重視する。結果その本は「読者はこのストーリーに興味を持たず、すぐに読むのをやめてしまう」と測定されてしまったのだ。
アルバザズ氏によると、その著者は「激怒」し、著者の出版社も激怒したという。著者が「彼らの」本に対して勝手にそんなことをしたから尚更である。著者はフィードバックを無視して著者が書いたとおりの本を出版した(その章が提出されたときにはすでに本全体が書き終えられていた)。結局この本は100万部の販売を達成。まずまずの結果だが、著者のこれまでの大ヒット作には到底及ばない。
「その100万人は、作者の名前を見て買っただけです」とアルバズ氏は断言する。
長期的に見て、Inkittが今の成長を維持できるかどうかだけでなく、より大きなメディアプレーに活用していけるかどうかが見どころである。おそらく、Inkittの今後の実行方法だけでなく、より広い市場で何が起こるかにもかかっているのだろう。
読んだ記事から他のコンテンツのアイデアが生まれることが多いため、AmazonやByteDance(出版業界の一部ではすでに話題になっている)のような企業も今後この分野を掘り下げていきたいと考えていることは間違いない。Amazonは事業の他の部分にも広範なA/Bテストを行っており、またデータサイエンスとAIの強力な武器を事業のあらゆる部分で活用している。しかしこれまでのところ、これらすべてを自費出版の取り組みに活かせるような大きな進展は起きていない。
しかしポジティブに捉えれば、これは投資家が好きなビッグチャンスと現在の牽引力を表しているのではないだろうか。スコット・サンデル氏は声明の中で次のように述べている。「Inkittには、ストーリーテリングの未来を担うための体勢が整っています。すでに従来のコンテンツ形式を超え、何百万人もの読者にとって革新的で魅力的な新形式に移行しています。人々の物語の消費方法に重要な変化が起きており、Inkittはそれをきちんと理解しています。アリ氏をはじめとするInkittの役員と緊密に連携し、エキサイティングで飛躍的な成長を遂げるであろうこの時期を後押しできることを大変うれしく思います」。
「Inkittの技術は並外れており、同社の成功はストーリーテリングの未来を如実に描いています。Inkittの多くの作家たちが商業的にここまで大きな成功を収めていることを見れば、同社が人々の本の消費方法をいかに深く変革しているのかがよくわかります。私たちは彼らのさらなる発展の一翼を担い、彼らの旅路をともに歩んでいけることに胸を躍らせています」とデフナー氏(Axel SpringerのCEO)は話している。
更新:Inkittは匿名の著者に別のプロットラインを提案しておらず、そのままでは読者の興味を引くことができないと著者に伝えただけである。
画像クレジット:PM Images / Getty Images
[原文へ]
(文:Ingrid Lunden、翻訳:Dragonfly)
- Original:https://jp.techcrunch.com/2021/11/15/2021-10-04-inkitt-inks-a-59m-investment-wants-to-turn-its-data-driven-self-publishing-platform-into-a-multi-media-powerhouse/
- Source:TechCrunch Japan
- Author:Ingrid Lunden,Dragonfly
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