英国レバノン大使 Tom Fletcher(トム・フレッチャー)氏は、外交にデジタル技術を持ち込んだ最初の大使の1人だ。10年が経った今、同氏が「テクノ外交」の最初の波で、うまくいった点といかなかった点を振り返り、今後のデジタル外交について考える。
外交はかつては、外交儀礼、決まり文句、地図と男によって支配されていた世界であった。しかし、あらゆる産業や技能職がそうであるように、外交もデジタル技術によって大きく様変わりしている。
多くの専門職では、目立った効果の大半は道具に現れる。外交でも、外交キット、通信手段(外部と内部)、作業スピードなどがすべて向上した。しかし、これも他の専門職と同様、本当の効果は明白な形ではなく、文化面に現れる。力関係の変化を認識することでもたらされる謙虚さ、新しいツールによって実現される敏捷性、より包括的になることでもたらされる効率性、今まで閉じられていた世界に対する国民の理解が向上することによってもたらされる透明性などだ。
10年前の秋、私は英国のレバノン大使に任命された。私は当時36歳で、大使としては若かった。アラブの春で中東では若者がいきり立っており、私はテクノロジーの変化によって政治と人々の関係が様変わりするのだろうかと考えていた。私は、新しい試みを始めた(これはその後、Twiplomacy(ツイッター外交)などといういくらかのぎこちない呼ばれ方を経て、最終的に「digital diplomacy(デジタル外交)」と呼ばれることになる)。10年を経て、デジタル外交は3つのフェーズを経験し、今4つ目のフェーズの入り口に立っている。多くのことが達成された。しかし、さらに多くの庶民的なスキルを政治に活用しようとするなら、これまでの試みで何が成功し何が失敗したのかを考える必要がある。
第2フェーズはすばらしい新世界だった。Hillary Clinton(ヒラリー・クリントン)国務長官が進めた21世紀の国政術プログラムにより、このフェーズでは、米国国務省は、外交に通信および接続のための新しいツールを使う方法について、期待と楽観に満ちていた。そうしたツールを純粋に受け入れ適応していった当時の外交官にとって、それはワクワクするような時代だった。国によって定められたルールは緩いものだった。私はある大臣にこう言われたことがある。「君が何をやろうと私はまったく構わない。英国のメディアに漏れなければね」。我々の多くは、逮捕されるまで突き進むことが許された。たくさんの過ちを犯した。リスクも犯した。私が、頻繁にツイートしていたスマートフォンは、私の行動を追跡するためにテロリストに利用されていた。
しかし、この時期は、人々とつながり、かかわり、いくらかの謙虚さを見せたいという気持ちで人々を驚かせることができた時期でもあった。ソーシャルメディアによって社会が開かれ、本物のエージェンシーと自由が促進されることを想像するのは可能であるように思われた。ある英国の大使はLSDをやり過ぎて、中東で最も強力な武器はスマートフォンだと示唆したことさえある。これに関しては今のところ、間違っていたようだが。
第2フェーズは、デジタル外交の制度化、組織化だ。我々は古い皇帝と新しい皇帝の間の広範な対話が行える構造を作り始めた。テクノロジーのめまぐるしい変化のスピードが地政学に与える影響を懸念した私は、英国政府を去り、この取り組みが緊急を要することを論証しようと試みた。2017年の私の国連での報告の後、国連はテック大手と政府が互いにすれ違うのではなく話し合うための取り組みを始めた。国連のハイレベル委員会とグローバルテック委員会は、ザッカーバーグ氏を議会や議会の委員会に召喚する代わりに、世界の政治、経済、社会に変革をもたらそうとする者と名目上依然としてそれらを統括している者との間の意思疎通を図る純粋で効果的な試みだった。私は「The Naked Diplomat」で、各国が「テック大使」を任命することを提案した。デンマークは実際にこれに取り組み、テック企業に国と真の対話を進めるよう促して、成功している。
この間、各国の外務省は、他のどのテクノロジーよりもソーシャルメディアにいち早く適応した。2011年にTwitterのアカウントを開設していた英国大使は4人だけだったが、数年以内に、4人を除く全員がTwitterのアカウントを開設し、中にはエジプト大使John Casson(ジョン・キャッソン)氏のように100万人を超えるフォロワーを獲得した者もいた。大使たちには影響を評価する方法があまりないため、ソーシャルメディアを試してみたいという強い気持ちがあった。私は、大使が出席する20以上の会議でスピーチをして、同僚の大使たちにソーシャルメディアを試すことで、大使の人間的な面を見せて(単に情報を伝達するのではなく)市民と関わりを持つよう促した。彼らにはよく次のようにアドバイスした。「ソーシャルメディアというのは想像し得る最大の外交レセプションのようなものだ。部屋の隅で黙っていたり、部屋中に響くような声で怒鳴ってはならない」と。もちろん、さまざまなリスクはあった。だが、最大のリスクは市民と対話できる場に参加しないことだった。
多くの大使たちがこのアプローチを採用し始めたが、外務省は、コミュニケーションにおける敏捷さと機密保持という新たなトレードオフに直面していた。私は2016年の外務省のレビューで、機密保持より敏捷さを取ることを勧めた。おそらくKim Darroch(キム・ダロック)卿(優れた駐米大使だったが、Trump(トランプ)前大統領に関して本国に伝えた電文が漏洩し辞任に追い込まれた)は同意しなかっただろう。しかし、我々は今や、この敏捷なコミュニケーション機能に依存しているのだ。
この2年間の外交は、ZoomとWhatsAppなしでは考えられなかっただろう。首脳たちが直接会見するのをできる限り避けるためにあらゆる手段を尽くす立場である外交官は、ビデオ会議が真剣な選択肢となるや、いち早く導入を決めた。パンデミックによってサミットやコンファレンスのオンライン開催が推進され、大量のCO2が削減されると同時に、明らかな悪影響もほとんどなかった。
第3フェーズは第2フェーズと重なる部分もあるが、帝国の逆襲だ。独裁政権がデジタルテクノロジーを使って自由を抑圧する新しい方法を見出したのだ。トランプ氏はTwitterを利用して、外国嫌い、偏見、暴動に火を付ける一方で、国内ではよりクリエイティブにテクノロジーを活用して、潜在的な協力者の称賛を得ようとしたり、外交上の敵対勢力を抑え込んだりした。一方ロシアのVladimir Putin(ウラジミール・プーチン)はインターネットを民主主義に対抗する武器として利用し、荒らし行為を連発した。Twitterモブにより、複雑な外交上の立場の微妙なニュアンスを伝えることは難しくなった。ましてや、ソーシャルメディアを使って妥協をはかったり、合意に達するなど不可能だった。分裂を誘うクリックバイトが置かれ、中立的立場が維持されることはなかった。政府はサイバー空間が新しい戦場であることを認識し、防衛という立場からサイバー空間を考えるようになった。
一方テック大手は成長し、場合によっては、政府よりもパワフルで保守的な組織と化した。私は2013年に、半分冗談で、Googleに国家安全保障会議への加入を依頼すべきではという声を上げたことがある。今となってはGoogleはなぜわざわざそんな面倒なことをする必要があるのかと聞いてくるかもしれない。テック大手は成長し力を誇示しながら、密かに人材を確保し、政府から税金だけでなく人的資本も奪っていった。その象徴的な、そしておそらく不可避的な例として、デンマーク最初のテック大使はMicrosoftに、英国自由民主党の党首はFacebookに引き抜かれた。法律的な軍拡競争が激しくなる中、EUがデータや扇動的行為を巡ってテック大手と大きな衝突を繰り返したことで、テック大手といっしょにより多くの問題を解決していけると純粋に信じていたすばらしい新世界フェーズの理想とは程遠い状態となった。
現在はどのような段階にあるのだろうか。私は今、テクノロジーと外交に関してはどちらかというと現実主義者だが、楽観的な側面も失ってはいない。私たちはまだ、持続可能な開発目標を含め、いっしょに難題に立ち向かっていける。ただし、それには、政府が自分だけではできないことについて、もっと正直になる必要がある。テック企業は、動きが遅くぎこちないことが多い政府ともっと寛大な気持ちで付き合う必要がある。そして、どこでテクノロジー自体が問題の一部となってしまったのかを正直に見直す必要がある。
とはいえ、外交は引き続きテクノロジーを使って効率化を推進できる。ニューヨーク大学にある私の研究グループは、外交官が空気を読むためのウェアラブルテクノロジー、外交記録の保存作業を改善するDiplopedia、世論に対する理解を深めるための感情マイニングの合理的かつ透過的な利用などに取り組んでいる。私は、国民が戦争の問題を厳しく監視するほど、政府の政策は平和志向的になるという仮説を支持している。おそらく外交で最もワクワクする分野は、外交を集合心理学およびソーシャルメディアの最先端テクノロジーと組み合わせて、国家同士ではなく社会同士の和解、および国家とその過去との和解を実現できる可能性があることだろう。
デジタル外交の次のフェーズでは、大いなる和解プロセスにも取り組む必要がある。すなわち、地球、テック大手、若者と高齢者、移住者と受け入れ側コミュニティ、そして最終的にはテクノロジー自体との和解である。私は、これらすべての和解においてより良い結果をもたらすために、デジタル外交が役立つと考えている。
最後に、デジタル外交の次のフェーズでは、外交官は、専門技能職としての基本に立ち返ることになるだろう。共感と感情的知性などの必須の外交スキルを備えた市民外交官を育成するための取り組みをもっと強化していく必要がある。その意味で教育は外交の上流にあるものだ。これは私がいろいろな場所で提案してきたことだが、このオンラインの世界での自由を守るためのグローバルなルールを書き直すには、昔ながらの紙と鉛筆を使った取り組みが必要になる。大使館という閉鎖的な空間から抜け出して、つながるために派遣された使節団としての本来のミッションに立ち返る必要がある。Edward Murrow(エド・マロー)は、決して自動化されるのことのない何物にも替えがたい外交スキルとしての人間的なつながりを「究極の3フィート(last three feet)」と呼んだ。我々が必要としているのは、今でも究極の3フィートを実行できる外交官だ。
この課題はワクワクもするが、急を要する。外交が存在しないなら発明する必要がある。だが、今は外交を再発明する必要がある。それは外交官だけに任せておけない極めて重大な問題だ。
編集部注:本稿の執筆者、CMGのTom Fletcher(トム・フレッチャー)氏は、オックスフォード大学ハートフォード・カレッジの校長。元英国大使で、3人の首相の外交政策アドバイザーを務め、ニューヨーク大学の客員教授でもある。
画像クレジット:Achim Sass / Getty Images
[原文へ]
(文:Tom Fletcher、翻訳:Dragonfly)
- Original:https://jp.techcrunch.com/2021/11/30/2021-11-07-digital-diplomacy-4-0-return-of-the-jedi/
- Source:TechCrunch Japan
- Author:Tom Fletcher,Dragonfly
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